真夏兎の跳ねる庭

ゲームの実況動画を投稿している女性配信者です。アクション系やホラーを中心に、世界観や雰囲気重視で、良質な物語との出逢いを日々求め中。

年末っぽい話

 

年の瀬、なのであります。

 

なんだろう、年々、この「年末」という瞬間を迎えるのが早くなってきてる気がする……。
気付けばこの時間、この「12月の終わり」という中に居る気がする。

こういうのこそ振り返り配信でもすべきなのだろうけど、
まぁ、まぁ、まぁ笑


今年は『原神』にハマりました(唐突


体感的にFF14の次くらいに時間を費やして遊んでるかな。

始めたのが2023年7月で、同年11月にはオーケストラコンサートまで行ってるとか、

自分でも考えられない……w
でも、すごく良いんだ……すごく……すごく……。

 

純粋に、美しい。

テイワットという世界は、美しさに満ちている。

七神七国、神様さえも個性的なこの世界には、

慈愛、と表現されるような、いかにも優し気で、光にあふれる美しさもあれば、

どうしてここまで……と思わず目を閉ざしたくなるほどの酷薄さ、

つよく心を持っていなければ感情ごと呑まれてしまいそうなほどに、暗い翳を持った美しさも同時に内包している。

生けるもの、死せるもの。人、人ならざる者。過去、現在、未来。

そこに存在するものの喜びや悲哀、嘆きや怒りすらもその彩りとして、

この世界を照らす太陽や月や星、その光のなかに、時には音楽として揺蕩う物語に、

あなとという旅人はいかなる美しさを見出すだろう。

 


肌に馴染むように、もうずっと何年もこの世界に居るかのように。
違和感を覚えることなく物語に入っていける作品というのは、
まるで昔からの親友のような存在。
お気に入りのぬいぐるみみたいに、
傍に居てくれて当たり前、無いと寂しくさえ感じてしまう……そんなポジションを心の片隅につくってしまう。



とりわけ、主人公が人々と出逢い、経験を重ねていくという点では
原神もFF14も同じなんだけれど、
前者は基本、強いキャラを仲間にして、そのキャラたちを育成して戦う。
対して後者FF14は、主人公キャラひとりを徹底して育成する。

 

この対比が実に味わい深いなぁと最近思うのですよね。
比較してどちらが良い、という話ではなく、
両方体験した上で、このふたつの「体験」を同時進行しているからこそ得られる面白味というか、楽しさがあるな、ていう気づきの話。


私はFF14を何年か続けているんだけど、
自キャラもそれなりに育って、ひとりで色んなジョブをこなしてる。
(実戦投入は別としてねw)

 

メインストーリーの要となる戦闘職をはじめ、
料理、裁縫、家具を手作りする職人職なんかも一手に担う自キャラことヒカセンは、
まさに一騎当千のオールラウンダー。

FF14は他者と交流するMMOとしての前提があるので、

「自分」の分身たる自キャラ、圧倒的に「個」に比重が置かれている。
自然、プレイヤー自身がエオルゼアで経験する体験のすべてが、この「ひとり」の上に積み重ねられていく。

端的に、ステータス欄を見てLVが徐々に上がっていくのを見て、

成長を喜ぶ気持ちもひとしお。

 


原神は、この「個」に対して、
「仲間」を何人も迎え入れて育成することで自分好みの戦力を作り上げていくチーム戦スタイル。

ジョブを変えることで扱える武器や戦うスタイルを自在に変えらえれるヒカセンと異なり、原神は完全にキャラに完全に固定化されていて、それぞれが使える武器、魔法特性(属性)も異なっている。

 

なので、弓キャラばかり集まって武器足りないよぉぉぉぐぬぬ、、、が時折あるし、
魔法属性にも相性があって、強いパーティーを作りたい場合は、
全体のバランスをみないといけない。
(ま、一般的な話であって、私は好きなキャラで戦うんだけどね!!!w)


それに戦闘面だけでなく武器や家具をつくるクラフトでさえ、
得意分野を持つ仲間(スキル持ち)に行わせることで
余分にアイテムを得る要素があったり、
「主人公」がこなせない点を補い合うような関係があったり……
とかく「チーム」というものに比重が置かれてる印象がある。

 

もっとも、月課金制、ガチャ課金といったゲーム自体のつくりや、
特にFF14はMMOなので「対他プレイヤー」目線での構造があったりと
比べる前提がアレなのかもしれないですけれどもゴニョゴニョ


とはいえ、とはいえ。


私はどちらかというと「自分」というものを磨くこと、
とりわけ内面や、感性、価値観方面に重きを置いて、
「個人」という枠の中で体験だったり、経験値や経験知を重ねていくことに悦に浸るタイプなので(あれれ、このひとぼっち拗らせすぎでは???)、FF14のヒカセンスタイルは非常に相性が良くて。


でも、ふと俯瞰して、
原神はキャラひとりひとりが主人公級の物語を持っていて、
そういうキャラたちがパーティーを組んで冒険できるのってすごく楽しい!!!
……などと、そういうところに感動したりw

いやもちろん、ストーリーありき。でも登場人物たちもみんな良いのです。みんな、みんな、みんな、良い、良い、イイ……。。。
(世界観やキャラのバックボーンをいたく大事にするので、設定厨なのでしょうね。でもそういうところにこそ魂が宿るというか、リアリティが!真実が!!)



キャラクター。
それこそ、Vtuberという自分たち。

ゲームをしていたりして、ふと、置き換えてしまう瞬間があって。


Vtuberになってから見える世界は、なる前と比べて、当然だけどとても賑やか。
ゲーム配信者と比べて、活動も多岐に渡るのでその数は驚くほど多くて。
1日何百人と生まれ、そして活動を終えて消えていく、とも言われてるけど、
みんなひとりひとりが夢を持って、それぞれが主人公として日々、活躍してる。

私はそこまで大層な夢を抱いているわけでもないし、
こうして文章を綴るのと同じく、
その源泉はあくまでも「愉しい」という個人的な感情や、
「自己表現のひとつの形態」という部分に在るので、
その意味ではちょっと異質なのかなぁ、って思ってる。
(多分、Vに生まれ変わるタイミングで、まったくの初めから始めていたら、
もうちょっと違っていたのかもしれないけれどw)


そうしたVtuber生活もそろそろ丸2年目。
今の「月御堂」を生んでくださったママとの出逢いも、
実は今みたいなタイミングの年末だったので、やっぱりこの時期は感慨深くてw

 

そのママからは、私の後からも次々と新たにVtuberが生まれ、
今や総勢30余名は居るんじゃないかな??

そんなファミリーの中のおひとりと最近、配信で初コラボをしまして。
ゲーム配信者としての私を知るリア友とも異なる、
同業者ならでは、みたいな距離感で話す楽しさに気付く機会を得られて、
かなり大きな出来事だったなぁって。

あとは純粋に、
コラボできるほど、それこそリア友経由じゃない誰かと関わることもなかろうと思っていたから、そういう点でも自分の中で微妙に変化があったのかなとも思う、そんな2023年。

 

コツコツと自分の上に経験値を積み重ねていくことも、
たまにだれかとチームとして進むことも、どちらも楽しい。

自分だけでは気づけなかった視点や教えを、彼や彼女たちは惜しげもなく与えてくれる。

損得なしに誰かの援けになれるというのは間違いなく美点であるし、私の周りの人たちは非常に慎み深く(笑)、優しさとともにそうした贈り物をくれるので非常に畏敬の念を抱くとともに、とても感謝しているし、世の中みんなそうであれと願ってしまう。

配信でコメントをくださるあなた様も、同様に。

いつも優しさをありがとう。

 

……閑話休題

 

FF14は人生で、原神は冒険。
どちらも大切な自分の居場所と思っているので、
まだまだ飽きずに……というか終わりがあるのかな?レベルで遊び続けて、
来年の今頃も何かしら騒いでるかもしれないですねw


原神は、ティアキンやオクトパストラベラーが好きな方に良いかも。
みーんな、今年出逢った、忘れがたい大切な作品。
ほかにも今年はSS級ともいえる大作だったり、心から楽しかった!と思える作品が多かったので、かなり豊作でございました♡

来年もたくさん、良い出逢い、良い体験ができると良いなぁ(小並感

 

ウツロマユ

ごきげんよう、まなとです♪


みなさん、激重感情を互いに向け合う百合はお好きですか?
私は、だーーーーーーーーーーーーーい好き(*^-^*)


もはや、互い無くしてはこの世に生きる意味なし。
相手が居るから、この世界に自分が留まる価値がある。

 

恋愛感情とも、愛情ともつかない、ただただ離れがたい気持ちばかり募っては、
あまつさえ、歪んだ仄暗い気持ちに苛まれる。
そうした複雑な想いの交錯する様は見ていて心かき乱され、
切なさゆえに、こちらも甘美な苦しみすら覚えるほど。
(葛藤する姿がもう、あぁっぁぁぁ尊いぃぃぃいぃぃぃぃぃんだよぉぉぉぉおお)


そして、そんなシンドさ(笑)しかない百合を観測するのに、
最適で豊饒な土壌となり得るのが、ホラーゲーム!!

百合とホラゲーの親和性の高さたるや……。
今回は『ウツロマユ』の感想語りを交えつつ、

その魅力について語ろうと思います。いぇい。

 

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※※※以下、『零「赤い蝶」』、『ウツロマユ』についてのネタバレを含みます※※※

 

……でもその前に。
ホラゲー×姉妹百合という観点から少しお話をします。


生と死。
私の経験上、このような話をする場合、すぐ思い浮かぶ作品といえば、
和風ホラーの金字塔『零』シリーズの中で、
双子の姉妹が主人公となっている「赤い蝶(紅い蝶」。


幼少期を過ごした土地一帯がダムに沈むこととなり、
思い出を辿り懐かしの故郷を訪れていた姉妹が、
殺戮に狂う儀式の一夜を延々と「再現」する村へと迷い込む、という物語。

 

この「儀式」とは、双子を互いに殺し合わせ、
片方の命を、あの世とこの世との封印のために捧げるというもの。
……これがもう、たまらない。。。

ホラーゲームにおける物語は、時に狂気的なまでの純度を持って、
読む者を魅了してきます。

簡単に言うと、美しい、のです。
何が美しいかといえば、人が人を想う、その心。
だれひとり死んだりしない、ほんわかとした路線の百合作品であろうと、
もちろんこの、人が人を想うという部分が肝であるし、
そこにこそ尊みを見出すのですが……ですが。

 

たとえば。


「いっしょに居たい」


読んでそのまま。
ただそれだけのこと、と生きて普通に暮らしている中では感じられるはずの、
本当に「ただそれだけのこと」が、この生と死の舞台上では、
心の奥からの願望、真の「永遠」、「希望」となり得ることの危うさ、
退廃的な美しさとでも呼ぶべき、実に耽美な味わいを秘めているわけです。


「赤い蝶」の場合、
妹の「いっしょに居たい」は、

大好きな姉と、これからもともに生きていく、ということ。

 

姉の場合は、「死して魂となり、永遠に妹の傍に居続けること」。
根幹にある相手への想いの深さが垣間見えるというか。

 

そもそも、愛する相手に命を委ねる、愛する相手だからこそ最期の瞬間を委ねられる、というのはおよそ生きている中で、最大限の選択であり、相手への絶対的な愛情と信頼がなければ叶わない行為であり、禁断の願い、そうして「いっしょに在る」ことを願うこと、これを指して(本人の)「希望」だなと……私などは思ってしまうわけです。

 

もちろん、平時であれば口に出すことが憚られるような、
たとえ心の中で思っていたとしてもオモテには一生でてこないであろう、
そうした、重く昏く深い、感情。

それすらもホラゲーの中では、時として生者と死者の世界、

曖昧なる狭間を彷徨うがゆえにか、
精神の最も深い部分、禁忌とさえ呼ばれるような部分すらも暴いてしまう、

描いてしまうという面があると思うのです。

 

そんな極限の、我々の住むセカイの外側で、
ふだん纏う常識や良識の厚い衣を脱いで露わになる、
艶めかしいまでの「本音」の、なんと甘やかであやういことか……

おいしぃぃぃぃいいぃぃぃぃ。。。


っというのを踏まえて(笑)、本題。


『ウツロマユ』の世界で描かれるのは、生者と死者の世界、
いわゆる「あの世」と「この世」といった世界ではなく、
現実の、人間の、生者の世界での物語。
だから余計に真実味があるというか、私にはとても新鮮に映りました。


祖母の家を訪れた主人公の目線から、家の秘密を段々と紐解いていき、
やがて恐ろしい真実に行きあたる……というストーリーの中で中核となるのが、
綾乃と絹というふたりの姉妹の関係。


時代背景を上手く取り入れ、過去から現代へと、今もなお進行形であるというのが、
とにかくこの物語の一番おそろしいところであると私は思っています。


そう、進行形――綾乃さんは絹さんを想い、絹さんは綾乃さんを想っている。
数十年来に渡り、今、この時も。

絹さんの命が果て、綾乃さんがひとり残されて、尚。
ふたりだけの「繭」――それはほとんど、ふたりにとっては「世界」と言い換えてもいいのかもしれない――の中に、綾乃さんはひとり、囚われ続けている。


その気持ちを、恋、と呼ぶのが正しいのか、
あるいは「執着」、あるいは「未練」と呼ぶべきなのか少し悩ましい。


分かりやすいのは綾乃さんのほうで、彼女の気持ちは、恋と呼んで差支えないと思う。
彼女が絹さんへ向ける気持ちは、慈しみに満ち、どこまでも優しい。
けれども家族に対する想い以上のものであることはたしかで、
絹さんが作中気付いていた「姉の想い」や、
綾乃さんに恋をする佐一だからこそ気付けた彼女の「視線」という表現が本当に、にくい。

 

母をはやくに亡くしている寂しさが由来しているものか、
よく、百合的な要素のある作品ではこういう部分に起因して惹かれ合った~とか表現がなされるけれど、純粋にひととして、絹さんのことを可愛がり、惹かれていたのだろうと、思います。


口に出すことの、赦されない想い。
ましてや家を守り、家業を継ぐ定めにある深山の家に生まれ、婚約者もある身で、
絹さんへの想いを持ち続けていた、「人間」の頃の綾乃さんを思うと、
……さらには異形となってなお、己のことすらわからなくなっても、
「きぬちゃん」だけは忘れまいと願い、実際、己を乗っ取らんとする意思(ヒメツキ?)からも守り通したっていう、あぁ、尊い。。。めっちゃくちゃ尊い。。。


対して、絹さん。
こちらこそ複雑な心の持ち主であり、ある意味、百合特有のとびきりドロドロとした黒く重い愛、その趣を持つ人物だなぁ、っと個人的には。

 

怪物となり、徐々に知能低下や精神遅滞をみせ、人間らしさを欠落していく綾乃さん。
むしろ綾乃さん本人は幸運だとさえ思う。

 

深山という家の上に、幾重にも重なる悲劇と屍。
その意味を、綾乃さんは理解できないから。

だいすきな絹とふたり、年を重ねていく最愛の妹との暮らしを、
いつまでも微睡みのなかで、「繭」のなかで享受できるのだから。

 

……でも、狂おしいほどの情念、執着を持っているのは実は絹さんのほうではないかと私は思っている。
婚約者に端を発し、美しい姉を疎み憎むその気持ちに隠れていたのは、本人が決して認めるわけにはいかない、姉と同じ質量の「想い」で。
でも、それが百合かといえば百合なんだけどでも素直にはそうといえない複雑さ。。。

 

「このひとには自分しかいない」憐みもあれば、
どうしようもなく惹かれてしまう気持ちを反射的に本能的に避けてしまうんだけど、
でも惹かれてしまう、受け容れがたい相反する己の心。

嫌いなものほど好きで、好きなものほど嫌いの心理というか、
憎いものへの想いを断ち切れない執着、けれども憎しみと同じだけの愛情を本人だけが拒んでいる、なんて。
……あぁ、おいしい。あぁぁぁ、おいしい(コラw


ここで、さきに語った『零』の話と合流するんだけど(そういえばあったね~)、
綾乃さんは、赤い蝶の「姉」と符合するし、
絹さんは、同じく「妹」と符合するなと。

 

どちらも妹へ特大の感情を抱いていて、それは傍からは「恋」と呼ばれる感情にもよく似ているもので。
肉親へと向ける愛情、愛着、それも含めて、この世に真にひとりだけ自分にとって必要な大切な相手として、妹を認識している。

 

そして、彼女たちが願うことといえば「妹を、自分から解放してあげたい」と同時に「永遠に傍に居たい(居てほしい)」の気持ちとなれば……ぁぁぁぁ、、、この、この、まったく異なるベクトルの感情をその身に抱えているかと思うと、愛しさでいっぱいになるのは私だけですか!??????ハァハァ


もはや人間社会の中では生きられない、
自分がついていなければ生きていくことのできない化け物となっている綾乃さんのことを、
自分の犯した罪、行っている狂気性のことをそうと認識している上で、
最期にできることが、姉の尊厳を守ってあげられることが、
綾乃さんにあの毒の入った皿を渡し、自分は首を吊る……この心中、愛しさ以外の何?????


赤い蝶でいえば、姉は受け容れます。

妹の手に掛かることを。

 

それは恍惚とさえしていて、客観的には恐ろしさ以外の何物でもないんだけれど、
私にはそれはもう尊いもののように、いっそ涙さえでそうなくらい、狂気に満ちた優しさだな、と。

 

彼女たちの場合は双子なので余計に、二人の間にある絆は特殊なものかもしれないけれど、根の部分、相手を受け容れる、死を受け容れる、この、言いようのない、両手を拡げて何でも赦し受け容れてしまう、安心感に満ちた光景。

生物であればおよそ持っている生存への欲求を、

自らの理性で捻じ曲げ受け容れるという、究極的な心の在り方。
暁美ほむらは、きっとそれを愛と呼ぶし、私もそう呼びたいし、きっとだれかもそう思うのかもしれない。

 

『ウツロマユ』はとても悲しくて、美しい物語。

 

エンディングは今現在でまだ1周しか回収できてなくて、
みなとくんがせっせと綾乃さんのお世話をするエンドです。

 

って、ここまで百合の話をしていて何だけど(笑)、
あれはそうだなぁ、……たぶん、共依存な関係になるんじゃないかな。

 

どちらも異形。
ひととして生きていくことのできない者同士。

 

綾乃さんに果たして寿命があるかはわからないけど、
みなとくんが老いた先で絹さんと同じように病気を患ったりケガをしたりと、
自身がお世話できないとなれば「責任」を果たすのだろうなって。
そして綾乃さんは拒むこともなく、それを受け容れるのだろうな……ぅぅぅ、、、。。。


異形の綾乃さんに追いかけられる恐怖は大前提として、
昔の田舎の雰囲気や、和ホラー独特の湿度の高い(笑)闇の怖さ。

関わる人間の心情や、各々の立場から徐々に真実を浮き彫りにしていく、
瑞々しいまでに情景を巧みに描いた、各人の手記。

素晴らしいゲームです。

 

(まさか百合的な要素が絡んでいるとは思っていなかったので、
百合スキーな自分にとっては余計に楽しめましたw)

 

この手のゲームだとやはり個人的に『零』シリーズがとても印象に強く、
自分の今の生死観だとか、他のゲームを遊ぶ際の指針にもかなり深い部分に刺さっている自覚があるのですが、あちらが描くのは、生者と死者の世界。

対して『ウツロマユ』は、完全に生者の世界。

 

冒頭でも述べてますが、だからこそ新鮮に感じられたような気がします。
あまつさえ、肉を持つ存在なら、しかも言葉が通じないまでも意思疎通できて両思いなら、添い遂げられる、てw
たぶん、最近観た『シドニアの騎士』の影響もあってか、
異形のすがたをした存在と人間の恋に抵抗感も薄く、またその人物の見た目じゃない心の部分にフォーカスし易い状態が形成されていたのかもw

 

綾乃さんと絹さんは、恋愛的な意味での純愛……と呼ぶにはちょっと複雑で難しい関係だけど、姉妹愛、家族愛、愛情、そういうもので繋がっているのは確かで。
過去から連綿とつづくおぞましい一族の物語といい、結さんの出生、そして最期といい、……変な言い方になるけれど、ふだん顔を合わせている人であっても、ちょっとした秘密を抱えて生きているような、隣人の秘密を知ってみたらシャレにならなかった現実ってこわいなぁの感覚も楽しめたような気します。

(絹さんが村人(村長?)とふつうに交流があるのを覗かせるお手紙とか、生活感あふれるおうちだとか、プレイ開始当初は本当に「ふつう」の家って印象だったので余計に)

 

あ。零の話を延々としていたけれど、私個人は心中思考全くないですwwwww
だれに理解されない苦しい恋をしたとして、死は決して終着点ではないと思ってるし、そういう終わりを相手に願ったりも憧れたりも絶対ないですwww

あくまでも物語として美しいね、ていう話ですからね。くれぐれもwww

(でも退廃的な美だとか、異形とか、霊とか、そういうものばかりに惹かれるのは私が単に厨n……)

 

 

おまけ。

これは公式な話なんだけど。

零(赤い蝶)で、姉は幼少期に負った怪我が原因で、成長しても走れない体質です。
妹は自分のせいで姉が一生残る傷を負ったと、負い目を感じて生きています。
姉は、妹のことが大好きです。
一生、自分の傍に居てほしいと、村に迷い込む前から思っていました。


……あとは、わかるね??笑


(オリジナル版の赤い蝶も、リメイクされてエンディング増えている紅い蝶も、どちらもおすすめ!!)

 

ハクメイとミコチ 10巻感想(74話)


あなたは、どんな暮らしを送っているだろうか。

 

どんな職業に就き、あるいは学生生活を送り、

だれと暮らし、あるいはひとりで暮らし、

どんな場所に住み、窓の外には何が見えて、何が聴こえるだろうか?


一応、ドーナツである私にも日常というものがある。
朝に目覚め、昼に働き、夜に眠る。
そのサイクルをずっと繰り返す――それが基本的な生活パターン。


遠くの街へ行くことは稀だけれど、
こうして遠くに住んでいるあなたの目に留まり、
あるいは配信を通して、たまにはあなたの話を聞かせてもらえる機会もあるかもしれない。

 

さて、今夜お話したいのは、そんな日常を描いた、とあるコミックスのお話。


その物語には私のようなドーナツこそ登場しないけれど(お菓子は出てくるかな?w)、一部を除いてほとんどの動物たちが人語を介し、街を築き、それぞれに仕事をし、たまには冗談を言い合いながら、美味しいごはんに舌鼓を打つ生活を送っている――そんな世界の物語。


ハクメイとミコチ


最新刊(第10巻)がこのたび発売されました~!!!

私たちでいう「人間」が「小人」に置き換わり、動植物は原寸サイズというスケールの野性味あふれる世界での、彼らの暮らしを描いている作品です。

 

タイトルになっている「ハクメイ」と「ミコチ」はともに主役の小人たちの名前で、物語は主にこのふたりにまつわるお話だったり、彼らが知り合っていく友人たちのお話だったりという群像劇風。


なんといっても特徴は、緻密に書き込まれたその圧倒的な作り込み!!!

 

街並みだったり、夕陽や大自然を生かした世界観の風景や画面の美しさだけではなくて、建物だったら建材や建築法、食べ物なら料理や調理法ときには食器にまで及んだり、洋服だったら生地や地方ごとの風土的な特徴、個人だったらその個人の過去未来現在にゆかりのある人や、そのひとが携わるエピソードなど、……もう本当に、多岐に渡る設定や隠れたストーリーがとにかく多いし細かいしで面白いしで、大好きなんですよね(笑)


小指サイズの小人ならではの目線から見る世界は、とにかく新鮮。
そこはもう普通に暮らしているだけなので、彼らがやっていることに目新しさだったり、魔法が使えたりといった特別なコトも無いのに、ひとたびエピソードとして語られると途端に魅力的でキラキラとみえてしまう不思議……。
そして大体、お腹が空いてしまう(笑)


食べ物の匂いや街の匂い。
音楽や歌、耳に届く、風の音。
太陽のあたたかさや、なんだったら水や土の香りまで漂ってきそうなほどに濃密で、
本当にありふれたことでしかないのに、とにかくドラマティックで、でもホッとさせてくれるような時間が過ぎていくのを感じます。


私は『ARIA』(天野こずえ先生)のファンでもあるのですが、
作品を通して感じるものというのは、ごく近しいのかもしれないです。
でも、このハクミコで描かれる日常は、実家のような安心感というか、
生活感や生活臭といった部分がより一層つよくて、
より身近なところで感じられるような感覚……。

ウンディーネたちの日常も、とても親近感の湧くものではあるけれど、そこはやはり彼女たち自身の存在自体が儚いやえなか奇跡の如く、という印象が強すぎて(笑)


そんな物語も、色んな人との出会いや、その出会いがゆっくりと育まれ、年月を経て成熟していくのを見守るような気持ちで気付けば第10巻……。
もう、どこから読んでもどのエピソードもすごく好きだけれど、
やっぱり1巻から順々に読み進めて積み上げていく読み方をしてこそのこの巻、という感じでした。


もしも未読の方がいらっしゃいましたら、超絶オススメいたします。
「丁寧に暮らす」ということ、「豊かに暮らす」という意味が、
この物語には詰まっています。

 


※以下は各エピソードの感想となりますので、ネタバレ注意

 

◆第74話「雨宿りと鼻歌」

通り雨に遭ってしまった歌姫のコンジュが、雨宿りした軒先で偶然ハクメイに会う話。


まさにリアルタイムで考えていたテーマだったので、ドンピシャで刺さったエピソードです(笑)
端的にいうと、歌ってどうやったら上手になれるの???ってw
そんな思いを常々抱える私とはまったくベクトルの異なるハクメイなのだけれど……


……いやぁ、わかるんだよね~、、、って(笑)
歌うのは好きだけど、人前で歌えるほどじゃ全然ないと自覚しているから、頑なに歌いたくないその気持ち……でも、歌うこと自体は、好きなんだよぉぉ、っていうアレ(笑)

 

だからこそ、稀代の歌姫(自称?w)コンジュが、友人としても、歌姫という立場からにしても、ハクメイに歌を教えたくなっちゃう気持ちもすごーくわかるし、ハクメイもハクメイで、断れずに教えてもらう気持ちもわかる……(ただ、ハクメイは歌が上手になりたくて教えてもらうわけではない、というのがミソかなとも思う)。

 

野生動物がちょっとずつ警戒を解いて歩み寄ろうとするが如くのハクメイの様子に、コンジュがかけた「あら いとしい」が分かりすぎてつらい。。。
がんばろうとする姿や気持ち、そういう部分を汲めるひとなのですよ、コンジュさん。
生来のにぎやかで華やかな性格や、妙にセンには甘え絡んでいく様子だったり(いいぞもっとおねがいします)、そういう印象があるかと思えば、こういうふとした優しさとか余裕が垣間見えるシーンが、歌うと一瞬にして他者を魅了することに加えて、稀代の歌姫たる由縁か……いやこのギャップが実に効くのでござるよ。。。


自分を自分らしく表現できるナニカに気付けるというのは、とても幸せなことだと思う。
別にそれを仕事にしていようといまいと、シュミだけにとどめていようとかまわない。
他者に気付かれようと気付かれまいと、自分を自分たらしめるものを、自分が識っているということ。大事なのはその点。

 

コンジュの場合それは歌で、つまりは世界(他者)と自分とを繋げるためのツールでもあり、こうしたものに気付くことのできるひとがこの世界に一体どれだけ居るだろう?
強制されるわけでもなく、自然と自分にはこれなんだという確かなものを得られるのは、特別な人間に限ってのことなのだろうか?
(あまりに陳腐な話ではあるけれど、やはり憧れというものは在る)

だからそれを獲得できる者、まるで生まれながらに目に見えない特別なシルシを額に持つかのような彼らは、もとから特別な才能を具えているのだろうか?


でもコンジュは実に彼女らしく、語ってくれる。


「私は知りたがりで 言いたがりって事ですわ」


曰く、お喋りの延長。
それは相手を知りたい、ということから始まったこと。
自分のことを伝えたい、とも思ったから、おばあさまとの間に「歌」というそれを見出すこともできた。

 

本質が、ここだなぁと思ったわけです。
「対話」。一方的に自分のことを伝えたい、ではなく、相手を知りたいと思う、
どこかで共通点を見つけよう、共通項を持とう――その気持ちとセットでないと意味がなくて。決して見つけることなど、できない、もの。


だれかが褒めてくれたから、とか、人によってきっかけは異なるだろうけれど、コンジュの場合はそうだった。

この話の冒頭、私自身、上手に歌うには??と思い悩んでいた話、
ほかの方の歌と比較して何が違っていたのか……まぁ、テクニックだとか声量だとか諸々何もかもなんだけれどもね?(笑)
それでも、こうしたちょっとした秘訣、じゃないけど、トクベツなひとのちょっとした胸の内を知ると、気持ち的なものが動くのを感じてしまうのです。
ほんの少し意識が変わったくらいで簡単にナニカが劇的に変わるわけではないし、
仮に「それ」を見つけた後も下積みや訓練と時間をかけて磨いていくものなのだろうとは思うけれど、それでも。

 

それにしても、タイミングがすごかった……(笑)

しかもその内容を専門家であるコンジュから聴けるなんて、ていうw

本当にそういう意味でも、コンジュは生まれながらの歌姫なんだなぁと、このエピソードを通してまた少し人柄に触れることで思ったりもして……まぁ、今までのエピソードでも何度となく思ってることだけれども。

でも毎回そう思わせてくれるのが、稀代の歌姫!

 


ところで。
ラストでハクメイとコンジュがふたりで歌うシーン、あの見開き最高だったなぁ……。時が止まったかのような感覚。雨粒が綺麗すぎる……。

あのひととき、歌声も雨に混じって、世界が歌声に満ちていくようで。

またコンジュがハクメイの横顔をチラッと見てる風なのがすごく良い……。
あと、オチがいつもながら秀逸(笑) 

関連して「足下の歩き方」。
今回のハクメイとコンジュにしろ、歌を偶然聴いてた作家のアマキさんにしても、こういうちょっとした誰かの日常が別の誰かの日常にリンクして、新しい何かが生まれるきっかけとなるこうした不思議な連鎖こそ、まさにハクミコの醍醐味だなぁって。

毎回どのエピソード読んでも絶対思うけど(笑)、良いお話でございました。

 

いざ書いてみたら1話でこの長さ(笑)
つづきはまた別の日に♪

 

あけまして百合作品。推しラブLODが最高でした。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


ごきげんよう、まなとです♪


あけましておめでとうございます。
お正月はいかがお過ごしになられましたでしょうか?

世の情勢的にまだまだ落ち着いた、本来のゆっくりとしたお休みとまでは

いかないまでも、思い思いの大切な時間があったことと存じます。

 

そんな中。
ありがたくも今年もシゴトが始業し、少しずつ日常が動き出そうかという今日この日。


私の悪いクセは、好きなものは後生大事に仕舞っておくこと。
開封のゲームや本はますます積み上がり、

下手するとお菓子も賞味期限ギリギリに……(はよ食べてw)

 

そんな、私が大事に大事にし続けた結果、発売から日が経つどころか年をまたいでしまっての開封となりました『推しのラブより恋のラブ』!
の、続編的位置づけである『ラブ・オア・ダイ』(LOD)!!!!!


本当に今しがたクリアした勢い、あまりにもその尊い感情がエントロピーを凌駕してしまい、このままだと私、魔法少女になってしまいそうだったので思わず筆を執ってしまいましたのよオホホ。キュウべえを滅するまでもなく、百合は世界を救うのですわよオホホ。


さて、前作『推しラブ』につきましては詳しくは私がプレイさせていただいた実況動画をご参照いただくこととして(ダイレクト・ステマ!)、

youtu.be


「一にも二にも推しが一番!」な、女性ヲタライフ大満喫中の「あくるさん」と、
豪運の持ち主であり、あくるさん大好き!!!な、一途なギャルっ娘「恋ちゃん」。

このふたりの恋のドタバタ百合コメディだった前作から一転、
本作ではついにそのふたりが、そのふたりが、結婚します!!!!!!!!!!!!!

あぁぁぁぁあぁぁあ尊いよぉぉぉぉぉおおっぉおっぉぉおぉおめでとうございまぁぁぁぁす!!!!!!!!!!(ゴロゴロゴロ

 

でも。
結婚という法的な意味も含め、強固にふたりを結びつけるこの契約(敢えて)を前に、
すべてがとんとん拍子というわけにはいかないわけで。

 

いかに同性婚に関しては法的に認められている世界線とはいえ、
推しに稼ぎをすべてつぎ込んでしまうダメ人間社会人のあくるさんと、
未だ進路の定まっていない恋ちゃん。

 

ドレスも式場も莫大なお金がかかるし、何よりなりゆきの勢いで結婚を決めてしまったため、あくると結婚♪ルンルンな恋ちゃんとは対照的に、あくるさんは気持ちが伴っていない(ヲタ活が制限されるのが嫌とか、リアルすぎるのやめてもろてww)。
その上、恋ちゃんを狙う学生時代の先輩(女性)も現れて、前途は多難すぎ!?


……っていうね、もうね、本当においしかったです。パーフェクトです。

 

今回は前作の1年後のお話。

あくるさんと恋ちゃんがお付き合いすることになってそれだけの時間が流れて、
ふたりの積み重ねた時間もあったことと思いますが……ゲーム開始5分くらいで、選択肢で悶絶するゲームなんて、私は未だかつて出会ったことがありません。
えぇ、本当に。
赤面しながら、恥ずかしくて顔をモニタから背けながらプレイするゲームってどうなんでしょうか。神作でしょうか。神作です。


端的にいうとその選択肢とは、
ガチャ引く代わりにキスをねだられた、ということなんですけども。


……あぁぁぁあああぁぁぁぁぁ(ばんばんばんばん!!!!


尊い。本当にありがとうございます。同棲百合最高です。恋ちゃんは手加減しないからこそ恋ちゃんなのです。カワイイ。本当に可愛い。


ちなみにこの時点で相当アタマが沸騰していたヘタレな私は初見プレイではキスできませんでした……(笑)

 

でもね!!? しないなら、しないなりに、その……あぁぁぁぁぁぁ、はやく、みんな、プレイしてぇぇぇぇぇ(ステマ
(でも、クリア後にロードしてみました……そして無事に消滅しました……w)


とまぁ、相変わらずのラブラブさを発揮する主役ヒロインふたりとは別に、
今回のもう一組の主役といえば、あくるさんの幼馴染であり、そのジャンルでは名の知れた壁サーの神絵師・志乃(しの)さんが本当にイイ味を出してくださってました。

前作でこそ、陰ながらふたりのことを応援?してくれていたこの名いじり役(?)が、本作では志乃さん視点でのシナリオ進行もあって、もうめちゃくちゃ良かったです……。

 

この志乃さんのパートが加わることで、この「推しラブ」という作品世界の解像度があがったというか、もっともっと好きになったのは確実です。

 

まぁ、前作でも端々で感じていたことではあったけれど、
こうして心境だとか、どんな風に考えての行動なのかとか、
ちゃんと本編に交えてあると、より一層嬉しくなっちゃうものなんですよね……。

 

後述する藍愛さんといい、本作に脇キャラ無し。
みんなそれぞれにドラマがあって、みんながこの世界で確かに生きてる。
好きなひとがいて、その恋や、誰かを大事に想う気持ちを抱えて存在している。
それがすごくすごくあたたかくて、キュンとなってしまう。……好きだぁぁぁ。。。


そんな志乃さんとあくるさんとの関係性で、
志乃さんのそれは恋愛感情とはちがうけれど、
本当にあくるさんのことを大事に想っているし、
親友以上に、まるで家族に向けるかのようなあたたかな目線というのがすごく伝わる内容でした。
そして、恋ちゃんに振られてしまう藍愛さんのことも口先ではからかう風ではあるけど、もともとが空気を読んだり、相手の気持ちに寄り添うことが物凄く上手なひとなので、本当にさりげなく、失恋で傷つく彼女のことを救ってしまう。
器も、おむn……うん、大きいですからね、うん、うん(ナンデモナカッタデス)


その志乃さんを味方(?)に引き入れ、恋ちゃんと自分との恋を狙うのが、藍愛(あいら)さん。
あくるさんとはまた別のベクトルのウルトラ美人で、
エステティシャンという綺麗でお淑やかそうなお姉さま。
その実態は、元ヤン(!?)w

 

恋ちゃんのために見た目を彼女の好みに合わせたりと一途すぎるほどに一途ながら、あくるさんのことをバッチバチに敵視してて、志乃さんの前でだけ見せる素の顔がコワイコワイwww
けど、好きな人の前だと、そうとは意識せずとも何かしら猫を被ったりとか、
多少はキャラをつくってしまう気持ち……わかる、わかるよ、オトメだね、恋しちゃってるねおねえさん……。それにそのすべてが恋ちゃんのことを想えばこそ、藍愛さんも本当にかわいらしい。。。
もっとも、やってることは、結婚を妨害するための暗躍だったけども(笑)


初見プレイ時、私はこの藍愛さんと志乃さんルートエンディングだったようです。
……ちがうんだよぉ、だって、あの場面だったらあくるさんを助けるためにああするじゃんよぉ……などと供述しておりw

 

両親の顔合わせ(これ気になってたから、あ、ちゃんとするんだってw)で、あくるさんの推しアプリのBGM流したり、キャラボイス流したり(笑)

志乃さんとふたりで最高のイタズラ……じゃない妨害活動とかしてる様とか、互いに好きな人をどう思っているかと本音を語るシーンとか、あぁ、このふたりでくっつけばいいのになぁって思っていたら、意外と志乃さんもまんざらではない……?ていう。

 

そういうやりとりがあった後、いよいよ親友あくるさんの結婚式へと臨むんだけど、
これが私のリアルの友だちの結婚式みてるようで、正直、ちょっと泣けました(笑)
あれ、なんなんでしょうね。花嫁がばーんと登場した瞬間、涙腺が瞬間的に決壊するやつw
本編では誓いの言葉を言いあうふたりを見ていてそういう気持ちになりつつ、
志乃さんが向けるあくるさんへの想いで、ぅぅぅ、って(笑)
(余談ながら、タイトルコールで志乃さんが「らぶ・おあ・だーい!」て仰るボイスがこのクリア後、ほんっとにニクイ演出だなぁぁぁぁって思ってますw)


しかし。
式を挙げてそれでサラッと本編が終わり、つづけてエンディングテロップが流れるわけですが……ここで、あくるさんと恋ちゃんの初デュエット曲が……今日この日のために、クラウドファンディングの特典とか、情報をシャットアウトして我慢していた、あの、あの、ふたりのデュエット曲が……神ぃぃぃぃ!!!!プレイリストに入れて明日から聴きまくる!!!!!

……と、志乃さんエンドもそれはそれで満足感があったけど、何かが足りない。

初めて、ゲーム画面にむけて、拍手までしておきながら(だってほんとに拍手したくなったんだもの笑)
フルコースで確かにお腹は満たされたけど、あれ、メインディッシュあったっけ?ていう、肩透かし感。

いや、満足感はとてもあるのです。あるんだけど、なにか、なにかが、足りない感じ……!?


それもそのはず。
Trueエンドは別にあったのだから!!!!!!!!


分岐点はおそらく、あくるさんを助けるか否か。
式のために資金が足りないと感じたあくるさん、本業とは別に推しコラボカフェでのバイトを始めたはいいけれど、心配をかけまいと恋ちゃんにはナイショに。
そうしたらバッタリ、恋ちゃんとお買い物中に、あくるさんの働くカフェのお客さんがあくるさんをみつけてしまって!?
……その場面を見た志乃さんの選択肢で如何で多分ルートが分かれたんだと思うけど、結果的にバイトがバレたせいであくるさんと恋ちゃんは式を前にすれ違ってしまうんだけど、……うんうん、こういうのがね、愛を深めるよね……と。すんごい素敵すぎるイベントでここでもちょっとウルっとなるなど(笑)


志乃さんの視点でもちょこちょこ出てたのが、このあくるさんの独り立ち?
隠し事をせず向き合うのが、あーちゃんらしい、みたいな。

それは例えば、ヲタであることを恋ちゃんの親御さんに隠さずみせたほうがいいとか、それはすなわち、素の部分のあくるさんの良さ、本来の彼女を知っているからこそ思うことであり、彼女の弁どおり、あくるさん本人が恋ちゃんの目をみて、ひとりの女性、パートナーとして向き合うことができるひとであると、我々は前作、そして本作を通して感じるわけです。尊さとともに。……ここ、テストにでますからね?(何の


という感じで、婚前最大にして最難関を乗り越えた先でのTrueエンディングでは、式当日のあくるさん視点となります。


……エモいんだよぉぉぉ。結婚したことないけど(笑)、結婚っていいなぁ、本当に尊いなぁって……。

ただの形式だけじゃなく、それは皆の前での誓いという儀式のお披露目でもなく、お互いに気持ちを確かめ合う、通じ合ったふたりのための瞬間。いやほんとにね、尊いよぉぉ……あくるさん、推しのコヘエくんとは(まだ)2回しかしてないらしいけどww

というか、もう、あくるさんも恋ちゃんもはやく結婚しちゃえよwwwwwwwって、このシーンで何度も何度もめちゃくちゃ思ったけど、まさに目の前で結婚式挙げてるんだよなぁ、っていう不思議な体験をしましたww


花嫁を送り出す友人視点からの、送り出される花嫁本人視点……。
いやぁ、我ながら偶然ながら、めちゃくちゃイイ流れでプレイできたなぁと思ってます。
本編すべてを通してエモさがとんでもなくて、思わずtwitterには昂る想いの実況(笑)をダダ洩れさせるし、こうして止まっていたブログまで持ち出す始末(笑)

やはり、何事も起爆剤は百合なのか……w


でも決して、本作はファンタジーではないと思ってます。

それは、同性婚の未だ認められていない国の制度がどうのとか、マイノリティといわれ認知され浸透するまでにもう少し時間が掛かりそうな現実だとかではなく、きっと「ふつうのこと」だから。

結婚式ってお金かかるとは聞いてるけど、いざパートナーがノリノリで結婚式したい!!!て言いだしたら、その資金どうする??っていうリアルさもさることながら(笑)、自分とは全然ちがう価値観の相手に惹かれて気付いたら好きになってた!なんてこと、きっと誰しもにも起こり得ることだから。

宇宙人、とまで思っていた相手に、気付けば、どんな理不尽なことでも叶えてあげたくなるくらい大好きになってしまって、カワイイと思ってしまって、ずっと一緒に居たい、と願ってしまったり、とか。

 

特に、こうしたフィクション作品であれば、想いを告白して付き合ったらやったね大団円!な節のある同性同士の恋愛だけれど、決してゴールはそこではなくて。

異性愛だろうと同性愛だろうとも割とベーシックな落としどころというか、節目にしやすいからなんだろうけど、現実でも恋愛は付き合ってからが、ある意味スタートライン、だと私は思っています。

ゆえに、結婚、てロマンの無い言い方をすると紙切れ一枚だけど、その紙一枚が物凄く重たい。そのことを知っているからこそ、自分の結婚生活経験を踏まえて話してくれる恋ちゃんママのくだり、すごく好きでした。「その先」のことを話してくれる、大人の存在があることが、とても大きな意味を持っていたように感じました。

相手の気持ちが変わってしまう、それは確かにこわいコト。

そして、未来といえば悪くなる可能性ばかり考えがちだけど、もっともっと好きになるかもしれない、と笑う恋ちゃんが、ほんっとに可愛くてしょうがなくて。。。
ポジティブさだったり、明るさだったり、彼女が生まれ持ったそうした部分に触れるにつけ、どんどん好きになっちゃう……あくるさん、もー、この幸せ者!!!コヘエくんもいいけど、恋ちゃんは特別とか、しれっと言うこと可愛すぎるんだよぉぉ!!!w


付き合ったことが、スタートライン。
そして、結婚を経て、新たなスタートラインへ。
願わくば、いつまでもずーっとずーっとラブラブイチャイチャしていってほしいなと心から思う、私なのでした。

 

シナリオはこのとおり、本当にセリフのひとつひとつに赤面したり笑ったり泣いたり、感情のジェットコースターが大変でしたが、本当に幸せになれました。ラブがラブを取りあうって今回も効いてたなぁ……(笑)

そこへ音の命を吹き込むBGMの妙と、声優さんの素敵な演技も前作にひきつづき物凄く良くて、、、セリフ飛ばさずに全部聴きましたww

あくるさんも恋ちゃんも、Wゆきさんが大好きすぎるんよなぁ…。。。それぞれの雰囲気がもーめっちゃ最高で、終始キュンキュンしっぱなしでほんとにすき……デュエット最高……1万回聴こ……。

志乃さんがまたよくて、悪ノリしてイタズラを企んでるようなあの感じがすごく良かったし、でもすごく包容力もあってすごかった~。

本作から登場した藍愛さんのウラオモテ演じ分けよwww基本すごくお綺麗なんだけど、落差がwwwキャラでいえばやっぱりどちらかといえば、私も生き生きとしている素のほうが好きだなって思いましたw


「もっと世界を百合で溢れさせる」
SUKERA SOMERO様の作品、百合を愛する民としても本当に心より応援しております!!!
推しラブ最高すぎだぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!

 

 

個人的には、まる一年もブログを眠らせていたおかげか、寝起きがとても元気ですw(今年はちゃんと動くよwたぶん……←)

 

 

本年もどうぞよろしくお願いします(笑)

 

 

エンディング動画を作成した話

ごきげんよう、まなと です♪
YouTubeにて活動中の【ゲーム配信者】です。

 

今回は雑記です。

先日つくった、エンディング動画にまつわる、ちょっと濃くて、ちょっとヘンで……でも、大切なことに気付いた、そんな長い長いお話をしようと思います。

 

◆導入と、余韻と


本編であるゲーム実況とは別に、
チャンネルの紹介……でもないけれど、
雰囲気をお伝えするため、また、トクベツな体験をしてほしいと思って、
オープニングとエンディングをつくっています。

トクベツな、というのは簡単に云うと、
私の動画を観た方に、ドラマチックな体験をしてほしい、と思うんですよね(`・ω・´)ドヤァ
……大げさに、そして、大まかに云っちゃってますが、要は、観てワクワクする、愉しい!と思ってもらえる体験をしてほしいなってことです(笑)


特に注力しているのがエンディング。


これから始まるぞ、という期待感を盛り上げるオープニングももちろん大事ですが、
主役はやはりゲーム。
となれば、早く本編を観ていただくことを目的に、
そちらは比較的軽めにつくるようにしています。
(近年、そうとも言い切れない感じの仕上がりになってますけれどもご愛敬w)


そうして、本編が終わってそこから始まるのが、エンディング。


一般には、チャンネル登録や高評価をお願いしたり、
興味を持ってくださった方へ、「こんな動画もやってます!」とアピールするのに
うってつけの場でもあります。


でも、一番大切にしているのは、余白。


余白――非現実から現実へと戻る、そのほんの少しの隙間。
動画が終わったから、じゃあすぐに現実に……では、なんだか淋しいし、
プレイしたのがストーリー性の強い作品であれば尚更に、
その物語の中で感じたものを、自分のなかで味わってもらう、
余韻を残す、そうした時間を含めて、私のつくる実況動画として楽しんでほしいという、想い。


ライブでいうと、アンコール、みたいな。
ゆえに、エンディングは特に力を入れたいと思っています。
……それに本編が終わっているだけに、少しばかりシュミを全開にしても、
大丈夫だろうという思惑もあったりして(笑)

だからこそ、私のチャンネルだから出来る、
ちょっとヘンで、ちょっと残念な、でもいつも全力で、エンディング動画をつくってきました。


でも、今回リニューアルした動画は、ちょっと事情が異なっていて、
完成までに思わぬ苦しみを味わうことに……。

 

◆最高の曲


今回のED動画で、一番最初に決めたのが、曲でした。
普段から、これぞという気に入った楽曲はストックしておくのですが、
今回は一から聴いて、探すことにしました。


そうして出逢ったのが、『ハレルヤ・ネットワーク』。


……もう、衝撃的といってもいい、いわば一目惚れの曲でした。
歌詞も、曲調も、一度聴いて「あ、みつけた」って。
驚くほどすんなりと、自分の中に落ちてきたんですよね。

その曲で描かれる世界はリアルの自分とも重なる風景でもあったし、
今の、配信者(と胸を張れるほど立派な自覚はないんですけどねw)として見ている風景とも重なるようで。

配信活動を通じて、ひとと出逢ったり、新たな接点を持ったり。
動画を通じて、ひとりひとりが確かに、確実に、「みんなで、みんなが繋がっている」という感覚。

ちっぽけな自分のセカイに拡がりを感じるその感覚ままに、
この曲に共感するポイントがとにかく多くて……大好きになってしまいました(笑)

 

◆「わたし」はだれ?


曲からいんすぴれーしょんを受けて、じゃあがんばって作るべさ!!!と意気込んだ次の瞬間、ぶつかった壁は、あろうことか、自分自身でした。。。

 

結局のところ私は、外側こんがり、中は生焼けな小麦粉に過ぎなかったのです……。
いきなり何の話???って感じですよね(笑)

 


つまるところ、絵です。

 


私は、ゲーム配信で活動をする上で、自画像を持っていません。
「まなと」と名をつけたドーナツという依り代はあるけれど、
ヒトとしての姿を持っていません。

こういうときにすごく自分でも面倒な性格だなって思うんですが、
自分で自分を描けないんですよね(笑)
自分自身でさえ、自分のことを掴み損ねていて、まるで姿をわかっていないから。
自分で描いたところで「これはちがう……」と思って、認められないんですよね、、、


なので、こうした曲から生まれる自分の感情や思考でさえ、
表現するための画(敢えて絵とはいわない)を、思い浮かべることができなかったのです。


しかもこの曲は、女性二人のツインボーカル
(「みんな」や「個人」を象徴するかのようなこの"ふたり"というボーカルの仕組みがすでにシビレるような演出だし、異なる質感の女声の美しさ、ハーモニーの心地よさがとにかく最高だし、単純に胸が高鳴るw)


その意味では私は曲を象徴するような状態になく……平たく言うと、活動の上でパートナーを持たないし、
コラボするような仲良し配信者さんもおらず……ゆえに、ふたり描く根拠がまるでなくて(笑)
でも、どうしてもこの曲を使いたくて、もしも使うのであればぜったいに絵には女子二人いないとダメだと勝手に思ってて(笑)


なればと、ラジオ企画「まなとら」の中でもちらっと話すことがあったりした、
名誉マスコット(笑)の「マナちゃん」に加え、もう一人描くか!と思ったり、
もういっそ無理くりドーナツを擬人化しちゃ!!!と思ったりもしましたが、
存在には、ちゃんと出自や意味を付与しないと、
やみくもにテキトウもできない面倒なヲタク、それが私!!……やだつらい、、、


ということで、最高の曲は見つかったけれども、全く作業が進まないという状況に陥りました。
これが今年の5月の頃だったと思います……。


ところで、私はゲームも好きだし、絵を描くのも好きだし、歌ったり、こうして文章を書くのも好きです。
読書も、映画をみることも、ひとの話を聴くことも好きです。
まとめると、"物語"が好きです。

……あまり共感は得られにくいと思いますが、
たとえば、建物。たとえば、本の匂い。
それらにも物語を感じるし、髪のひと房だったり、文章の一節を、描いて、書いているとき、
その瞬間も物語を感じる――そんな感覚があります。

それはつまるところ、自分との対話。
物語を通じて、過去や現在、かすかに自分を重ねて。
だからそれはいつだって問いかけに満ちていて。

幼いモラトリアムから卒業できないまま、未だ掴めないのが自分の姿。
別に、ゲーム実況にリアルを重ねる必要性も、自分を投影する必要もないというのに、
どうしてか、「自分」をみつける方法ばかり、遊ぶついでに、愉しいことをするついでに、探している。
(ゲームも、純粋に遊ぶためというほかに、そうしたアプローチのひとつとしてみている面もあるんですよね)
承認欲求ともまた異なる、影法師を追うようなこの気持ち……実に厨二らしさ全開で微笑ましい、で、す、ね……(笑)

 

そうして、いつまでも進まないED動画作成は、本当に突然、完成することとなります。


きっかけは、2枚のイラスト。
ある日、友達から贈られたものでした。

それは、私が描いた名誉マスコット(やめたげてよぉ)のマナちゃんをベースに、
けれどもすごくすごく素敵なアレンジのなされた桃色の髪の女のコと、
仲良くなったすぐの頃、想像で描いてくださった「まなと」の姿をベースに、
こちらも細部に至るまで「わたし!!!」ていう要素をいっぱいに散りばめた姿の銀色の髪の女のコ。


彼女たちは、私の声からイメージして、描いてくださったそうです。
カワイイ系と、クール系。
ふたり居るけれど、どちらも、私。
(とはいえ、キャラとしては別個の存在、別人格設定(?)なのですけどねw)


……この時点で、めちゃくちゃ嬉しかったんですよね。。。
私は単純なイキモノなので、イラストをいただけた、そのことが(笑)


リスナーのみなさんから寄せていただくことのある動画やSNSへのあたたかなコメントもそうですが、
こうして、たまにイラストを描いていただける機会もちょっとだけあったりして、
カタチはどうあれ、本当に、それぞれにお気持ちが、すごく嬉しいんですよね。。。

なので、この二人を描いた2枚の絵をいただいた時も、
描いてくれた、そのお気持ちに喜んでいたのですが、後日。
本質的なものを見落としていたおばかな私は、それと気付くことで、
出口の見えない悩みから解放されることとなりました。


この二人を1枚に描いた絵をいただいたことが、ED動画完成の糸口となったのです。

 

◆小鳥


その絵は、ちょっとしたやりとりの中、贈ってくれたものでした。


けれど。


イラストのなかの少女たちは、……繰り返しとなりますが、
私の声をイメージして描いてくれたコ達。
別々の人物。けれど、ひとつの、でも、別々の、存在。


他者から見える、自分。
それが、「ひとつ」(ひとり)じゃないこと――まさに青天の霹靂だったんですよね。


私がずっと探そうとしていた「わたし」は、
ひとりじゃないといけないと思っていたことに気付いたんです。
カテゴリというか、ジャンルというか、
それを絞らないといけないって、勝手に思い込んでいたんですよね。

カワイイなら、カワイイ一辺倒。
クールなら、クール一辺倒。


あんなに雑多に、好きなものがやたらとたくさんある自分なのに(笑)
というか、それこそゲーム実況を通じて、
色んなおかしな自分の発見なんて、いくらでもやってきているだろうに、て(笑)

 

ただ、2枚を、その少女二人を個別に眺めていたときは気づけなくて、
今回1枚の絵として納まっていたから、気付けたのも事実なんですよね。
自分、ほんとに単純すぎてつらい、、、

自分が思っている「自分」を、"一人"に絞る必要はないということ、
それはつまり自分の多面性、多様性を肯定するということ。

無理にひとつに絞ろうとしていたから、「自分」なんてみつからなかったし、
見つけるのが難しいのも当然だよね、と。


なんだったら、動画をつくろうと思ったきっかけでもある、
女性二人のツインボーカル曲を私の直感が選んだのも、
まったく異なる声質のふたりに、そうした自分の多面性をメタ要素として重ねていたのかな、とも……
まぁ、そういうことまで考えを巡らせてしまう人間なんですよ慣れて?(ぇ)


――好きなものは、いくつだって同時に好きだといって言って良いし、同時に存在して、きっと良い。
それこそ私がライブ配信で使っている、コメントの読み上げソフト2つのように(笑)


固定概念からの解放。


だから。
それまでずっと自分が囚われて悩んでいた場所から救ってくれる、
そんな意味を持ったイラストだったんですよね(言い回しがいちいち大げさすぎるw)。

 

◆メロディ・ハレルヤ


こうして最後のピースを得た私は、晴れてED動画作成に着手。
それまで迷子になって置き去りになっていた2ヵ月前のその場所からようやく、離れることができました。
気付けば、イラストをいただいた日から二晩。


……あぁまたもう3時過ぎとかうそでしょだめたのしいやめられない……そんな状態で完成へとこぎつけました(笑)
なんでしょう、SSを書き上げる時のような、絵を描き上げるときのような、恍惚感?
あるいは、ささやかな、自己満足感。


本来ならば、このイラストは私が独り占めしてフヘヘヘヘとなるところでしたが(やめて)、
こんな素敵な絵はもっと世間に広めなければもったいない!という思いがあったのも、良い燃料となりました(笑)
御本人からも動画に使用して良いとおゆるしがでたのを良いことに、ほんと好き勝手です(^-^;


その線の一本一本。
とりどりの色、作成に費やされた時間にすら、
私たちがこれまで友人として交わした個人的な会話や思い出、
描き手さんとしてご自分と対話なさったであろう想いといった、
言葉にこそならないけれど、たくさんのメッセージが含まれていると私は思っています。
(それは、私が今までにほかのリスナーさんからいただいた絵にも共通して云えることです)


なので、その用途――もともとED動画用として書き下ろしていただいたわけではないので、
三者たるリスナーさんに観ていただいた際、ちょっと糖分が……ハッピーな要素が多いかもしれません(笑)


けれど、この絵のふたりは私の声から生まれたもの。
"まなと"から派生したもの……それはつまるところ、
私が、私の動画のなかで、リスナーさんにお見せすることのできるもの、の象徴でもあって。
そしてそれは決してひとつ(=属性を象徴する「ひとり」)に囚われず、いろんな色を持っている、
いろんな自分をお見せしても良いのだという、同時に自分への励まし?的な意味合いも在って。

この絵から感じるのは、無限の可能性。
優しさに満ちて、けれどどこか色香もあって。
このコたちはどんな風に話して、一体どんな物語が生まれるのだろう?という予感、想像の余地が詰まってる。


ゆえに、このイラストでなければ、このED動画は完成しなかった、のです。
(ここでいつかのtwitterのさえずりにつながって、ターンエンド!)


(とはいえこうしてさんざ書いてはいますが、ココへ囚われてもいけないので、
EDやOPについては、また定期的にアレンジなり、気の向くまま考えようと思います)

 

◆おしまい


この身は、ドーナツでできてる……。


ドーナツなのだから、いろいろと思い悩む必要も、ほんとうはないのだろうけれど(^-^;
でもそのおかげで気づくことのできる、広いセカイのことを、繋がれる世界があることを、"世界中のどこにいても繋がっている"ことの意味を、これからも立ち止まりながら、面倒くさいことでうじうじと悩みながら(笑)、知っていくのだと思います。

いつかヒトの姿を纏う日があるのかさえわかりませんが(笑)、
今はひとまずカタイ焦げ目は取り払われて。
少しスッキリとした心持ち(*^-^*)

 


素敵なイラストを私に贈ってくださったこと、

みかんちゃんには本当に感謝しかありません。。。

 

(本記事に登場したリニューアルエンディング動画は、2020/07/9以降の投稿分より実装しています)

 

 

以上です♪
最後までお付き合いくださって、ありがとうございました!


真夏兎◎まなと

 

★・★・―――――――――――――――・★・★

 

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【零~濡鴉ノ巫女】(ぬれがらすのみこ)語り(その1)

 

ごきげんようまなと です(*^-^*)
YouTubeにて活動中の、【ゲーム配信者】です。

 

今回は、『零~濡鴉ノ巫女(ぬれがらすのみこ)』です♪

 

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◆『零(ぜろ)』

民間伝承をベースとした和風ホラーゲームで、本作でシリーズ5つめを数えます。

(個々で独立した物語となっているので、ほかのタイトルを知らずとも単独でプレイ可能)

 

特徴としては、登場人物がとにかく見目麗しいこと――もとい、心の機微を織り込んだ、きちんと血の通った人物造けいと、同じく、大切につくられた物語。

……そして、かなり恐怖色が濃いホラー、という点……(笑)

ハッキリいって、バイオハザード以上に、夜にプレイしたくありません。。。

 

新しいタイトルが出るたび、ストーリーの下敷きとなる陰惨な儀式や残虐な事件も、いっそう色艶を増すようで……しかしながら、泣けてしまうんですよ。。。

決して、怖いだけの作品なんかじゃないんです。

生と死。この究極的な視点から描かれる物語は、いつだって心に小さな、けれど決して消えない傷痕を残すかのよう。

……個人的に、もう大好きなんですよねこのシリーズ。。。

 

 

◆ゲームバランス

敵(怨霊)を、カメラで撮影して撃退するという特徴的な戦闘スタイルを持った、探索型のアドベンチャーゲームです。

扉を開けるための鍵的なアイテムを探したり、時にはパズル的な仕掛け要素があったり。また、道中には、個人の手帳や、ひとや場所にまつわる文献などが見つかり、それらは読み解くことでストーリー考察のたすけとなります。

 

本作、難易度はかなり易しい印象でした。

ラスボスを初見で割とサクサク倒せるという意味でもあり、探索を手助けしてくれるシステムがプレイヤーに甘くなった、という意味でもあります。

ただ、敵がどこから来るんだろうという不安感や緊張感、ゲームの持つ独特な恐怖感といった点は相変わらずの意地の悪さ。

扉ひとつ開けるのもビクビクしてしまいます(笑)

 

プラットフォームがWiiUとなったことで、パッドを使った見事な操作感を演出しているのも面白かったです。カメラを主武器として使用するゲームなだけに、現物のカメラのような動きを表現するにあたって、システムとの親和性が高いと思いました。

Wii発の眞紅の蝶や、月蝕の仮面のヌンチャクもなかなかでしたが、あぁ、今度はこうきたかって(笑)

 

各章がミッション制になったことで、収集物を重点的に探したり、経験値稼いだりと、手軽に遊べるようになった印象があります。

以下は、変更点と所感。

 

・各章ごとにアイテム編成が行われ、消費アイテムを心配せず遊べるようになった

・各章ごとに、持っていくアイテム数が任意で増やせる(ただし、スコアに影響)

・目的地へのガイドや追跡システムが親切で、道に迷いにくい

・オートセーブ対応で、緊張感がかなり和らいだ

・敵(霊)がそこまでこわくない(いや、めっちゃくちゃこわいけど笑

 

 

◆ネタバレ

さて、こっからはネタバレ全開だぉ!(生き生きと

どうぞ未見の方は お気をつけくださいませ。。。

 

 

◆物語の概要―儀式、巫女―

本作の舞台は、自殺の名所として名高い「日上山(ひかみやま)」。

自殺の名所、といいながら、様々な伝承や言い伝えの残る神聖な地として、地元民からはあがめられている場所です。

 そして、ここで行われていた儀式と、巫女の役割――これが、本作の肝となる部分です。 

 

◆「看取り(みとり)」

それは、死にゆくものの最期の想い、苦しみを引き受けること。

山の巫女は、この看取りにより人々の想いを引き受けます。今際の刻を前に、生きることの辛さや嘆き、痛みや苦しみを抱える人々の訴えに耳を貸し、これを受け容れ、受けとめる。

そう、山の巫女は決して、その「死」を願う者を、そう願った者を拒絶したり、否定しない。

 

そして、山の巫女自身が最期迎えるのが、儀式。

己のうち側いっぱいに、他者の想いを溜め込んだ巫女。

彼女は生きたまま函(はこ)へ詰め込まれます――現世と隠世との境を封じるために……。

 

 

◆なぜ、巫女は死を看取るのか?

ここで登場するのが、ゲームのテーマともなっている「水」。

これは日上山の地元での信仰にもつながっていて、山に流れる水のことを地元のひとたちは神様と同様に敬っています。水や、派生する、霧や、雨までも。

人々は水でつながり、水に還る――そうすることで、死は孤独なものではなく、分かち合うもの、共有するものとなり、巡り続ける。

きっと、日本のどこかには、こうした自然信奉的なところが根付いているところもあるんでしょうね。説得力というか、その思想の、なんて慈悲深いことだろう、なんて私は思って、泣いてしまいます。

死が孤独なものではなく。寄り添うものが居る安らぎ。

それはなんて甘美で優しいんだろう、て。

そうして、巫女として生きている間は他人の想いと共に生き続け、そして自らの最期には函(はこ)へと詰められ、人柱となる。この尊さ。この残酷な儀式。

 

往々にして、零に登場する儀式の目的は、こうした現世(この世)と幽世(あの世)の境を守り、災厄を防ぐ、あるいは鎮めるためのものですが、その中核を担うのは、いつだって人柱。

つまりは、生贄を捧げたり、その人間自体を封印の要とすることで、悪しきものから現世を守るという、およそ常識の範疇を超えた現実。

道徳的な観念からいえば嫌悪感すら抱きかねないけれど、やるほうだって物凄く辛かったり(自分の娘を手に掛けたり、双子同士で片方を手に掛けたり……ぅぁぁ)、強固な決意の上だったり(捧げられる者は、決してだれのことも恨まず、己が運命を受け容れるんです。。。)と。

そこに「人間」を感じてしまうと、ただただ切なくなってしまって……。

犠牲の上に成り立つ平和、ではなく、平和を保つために捧げられる命。

その精神のことを尊んで、一連の物語に涙を流しこそすれ、どうして嫌悪できようか。

ホラーなのに、泣ける。。。。

「なのに」というのは失礼なんですけれど、本当に、怖がらせるだけがホラーじゃないんだ、というか、本質的な部分に在るものを感じとってしまうと、この作品を振り返ったとき、自分のなかに残っているものが、「怖さ」じゃないんですよね。

そして、その存在が生きているか死んでいるかは別として、すべて「ひと」の物語だからと思い至る……ゆえに、胸がひどく痛むけれども、その痛みが愛しくて泣いてしまう私です(笑)

 

現代でこそ自殺の名所と呼ばれる日上山も、ただしくは、巫女に看取られることで安らぎとしての死を得る場所だった……。

看取り、その意味合いを深める「水」というテーマに、さらに、涙を掛けてきたのが本当にずるいと思います。。。

涙。

他者のために流される、生者の涙。

そして、死者の涙、

それまで、泣くことのできなかったひとが、他者の痛みのために、他者の痛みを我が身のように思って、涙を流す。

それまで、怨霊として、生ける者を憎み、他者を憎み、世界を憎み、存在を憎み、自分の役目を憎み、自分の役目を憎む自分を憎んできた死者に、透明な、涙を、流させる。

 

ストーリーの時系列的な筋からいうと、きっかけは儀式の過去の失敗。

本来であれば、世の理を守るために行われる、忌まわしくも聖なる儀式は、失敗すると何が起こるのか?

 

それは、函の底から夜泉(よみ・黒い水で表現)があふれ、儀式に携わった者はおろか、山で命を断った者も含めて、怨霊となってしまうこと。

また、時空と空間をゆがめる、というものがあります。

要は、自分たちが失敗した儀式をもう一度やり直そうという思いに縛られたかつての生者たちが、怨霊と化したいま、現代に於いて凄惨な終わりなき夜を繰り返す――具体的に、素養のある生者を「招き入れ」、儀式を「再現」しようとするわけです。

まぁ、このあたりは零シリーズでは共通するところです(笑)

 

本作、主人公たちがこの恐ろしい山に関わることとなったのも、この「人柱」として、山に、そして怨霊たちに、魅入られてしまったから。

 

◆逢世

本作の発端となった、失敗した儀式に臨んだ巫女の名を「逢世(おうせ)」といいます。(……名前がすでに泣かせにかかってるとしかいえない。。。)

 

巫女の宿命とは、永久に夜泉へと落ち続けること(函の中は海のように広いイメージで、逢世はたったひとりで奈落へと沈み続けている)。

けれど、他者の想いを引き受ける巫女としての自分の想いは、ではだれが看取ってくれるのか?

一抹の寂しさと、巫女であるがゆえに口は出せなかった、秘めた恋心。

怨霊となったのち、自分とともに夜泉へ落ちてくれる者を求める、というところがいかにも哀しくて……いとあはれ、、、

この、「巫女であること」、また、ひとりの女性であるという葛藤が、くるしくて。

そして、巫女であることを全うしようと、己が想い(恋心も含めて)を無理矢理に断ち切ろうとする気高さが、せつない。

ゆえに、迎えたエンディングにはいっそう感慨深いものがあります。。。

 

逢世(巫女)にまつわるエンディングは、4種類あります。

そして、そのうちの半分はどう考えても、どう考えても、百合エンd……ぐぼぼぼぼぼ(溺

今回はその中で、2つほど、ご紹介させていただきますね(後述)

 

 

◆登場人物とエンディング

 

主人公:不来方 夕莉(こずかたゆうり)

19歳。女性。事故をきっかけに、他人の記憶や経験、また死者といった「みえてはいけないもの」がみえるようになる。この能力のために他人との接触に抵抗感を持ち、次第に孤独を抱えるようになる。日上山で、夕陽を臨む岩壁から身投げしようとしていたところを、「黒澤密花(くろさわひそか)」に引き留められ、以後、密花の営む喫茶店に身を寄せることになる。

 

一番、本作の本質に迫る過程を経てエンディングを迎えたのが、彼女ではないでしょうか。

夕莉の物語のスタートは、山へ行ったまま行方不明となった密花を捜すこと。

その過程で、巫女のこと、儀式のことを知り、自身もあやうく人柱となりかけて。

 

何が泣いたって、怨霊に魅入られた密花自身が岩壁から身投げしようとして、それを夕莉が止めるシーン。いつかの再現。入れ替わった、立ち位置。

命の恩人であり、「影見(かげみ)」(過去の影を見る能力。簡潔にいうと霊力的なもの)であることで夕莉の持つ力の理解者である密花のことを、夕莉がどんな風に思っているか。

どんな風に、夕莉の中で、他人に対する気持ちが変わったのか。あふれましたねー。そして、無事に喫茶店に連れ帰った密花に、夕莉が淹れた珈琲とそのぬくもり。そのまなざし。

「人生は、時にはコーヒー1杯の温かさ問題」……その言葉の、意味。。。

人の記憶がみえる夕莉は、密花が実は過去に目の前で少女の自死を止められず、心の傷を負っていることを知っていたりもして……ぁぁぁぁぁんんっ!!(何

 

そして、ラストバトルでの逢世との対峙。

その悲しみに触れ、その悲しみを受けとめて。

……ほんと、涙腺が、、、

 

◆「夜泉ノ花嫁」ED

抱きしめるんですよー、夕莉が逢世を。

怨霊となって、それはそれは恐ろしい姿と成り果てた逢世のことを、何の迷いなく抱きしめて、泣きじゃくるんです。

永久に続く、他人の死の瞬間、痛みや苦しみを繰り返し続ける巫女のことを思って。

その孤独と、耐えることを決意した逢世という女性のことを思って。泣くんです。

そしたら、逢世がね、また泣くんですよ、、、

白無垢を真っ黒に染めて、禍々しい肌の色を覗かせた壮絶な姿の怨霊の頬を、透明な涙が流れるんです。そうしたら、かつての、美しい生前の姿になって……ぐぉぉぉぉぉ、、、

 

夕莉は、泣かない子だったんです。

それが、他者のために涙を流す、この意味ですよ。

他者を受け容れ、心を動かされて、泣くんです。

その心が、怨霊となった逢世に伝わって、逢世にとっての望み「看取り」が果たされる……こんなにも美しいラスト、、、生者の涙。死者の涙。

「あなたに逢えてよかった」。逢世の、言葉の、その重み。

 

 

◆「抱擁」ED

夕莉は、かつての夕陽を臨む岩壁に立っている。

あと一歩踏み出せば、「終わる」。

けれど、自分は迷っている――行くべきか、留まるべきか。

背後には、密花。

そして、目の前には……逢世。

同じ痛みがわかるから、死という痛み、くるしみ、孤独がわかるから、あなたと一緒に死にたい……もう、こんな(文字通りの)殺し文句、ある!!?

夕莉は、逢世の広げる腕の中へ飛び込むんですよ……そう、岩壁から、身を投げて。

抱きしめ合って夜泉へと「落ちる」ふたりの姿が、安らぐ、とでもいうべきか、すごく、美しいものに見えました。

かつて岩壁に佇んでいた夕莉(学生)は、自分がひとりだと言って。

その孤独をどうすることもできず、生きることをやめようとしていて。

夜泉へ落ちる逢世は、その夕莉(学生)へ向けて「あなたはひとりじゃない」と想いを発していて――そのことばを聞いて、私は不謹慎にも優しさを感じ取ってしまいました。

生前、巫女として凜とした気高さを持っていたひとの、今は怨霊に身をやつしてはいるけれど、損なわれていない優しさを感じてしまって。。。

そんなふたりだから、相手の悲しみを受け容れたのは、ゆるしたのは、果たして、夕莉だったのか、逢世だったのか。永遠に、ふたりで「死に続ける」ということは、本当に、究極の「安らぎ」じゃないだろうかと私は思います。

禁断にも似た、本当に微かな、あるかなきかの、思うことすら間違っているとわかる、けれど、わずかな憧れ。

しぬとき、ひとはひとり。けれど、このふたりの決断は……。

 

目の前で、過去と現在、「2人」も失ってしまった密花には、かける言葉もありません。悲しすぎる、けれど、たまらなく美しい。

このゲームを通して、一番愛おしいと思ってしまう、エンディングでした。。。

 

 

 

 ……と、今回はここまで。

じっくりねっとりと、書かせていただきました(笑)

今回の内容は私がゲーム実況をする以前、初見プレイしたときの所感のメモをもとに、加筆しました。時は経っても、大体、作品へ抱いている想いは変わっていなくて、自分でも笑ってしまいます(笑)

 

『濡鴉ノ巫女』を語るにあたって、欠かせない重要な登場人物たちはまだまだ居て、彼らについてもたくさん語りたいことが多いです……が、そちらはまたの機会に(*^-^*)

 

 

……しかし、こうして文章を書いてると、「ええい、まどろっこしい、動画を観て!」と思う部分もあるし、動画を撮ってると、観ている方の邪魔をしたくなくて話せなかったり(この視点は実際に撮るようになってから気づきました)、まぁ、単純に言葉選びと思考のスピードが話す速度に合わず、「ゆっくり落ち着いて文章で云いたい!」と思うしで、……こまったものです(笑)

 

って、私、単に話下手なだけなんじゃなかろうか、、、(´;ω;`)ウッ…

 

……はい、ということですごく長くなりましたね。。。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

 

真夏兎◎まなと

 

 

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FF14漆黒語り(その1)

 

ごきげんよう、まなと です(*^-^*)
YouTubeにて活動中の、【ゲーム配信者】です。


熱いモノは熱いうちに!
ということで、漆黒クリアの興奮冷めやらぬ『FINAL FANTASY14』。

その、漆黒編について、感想など書いていこうと思います。


※ネタバレ満載です。
メインストーリーの新生~漆黒まで含めております。
未プレイの方はどうぞご注意ください。

 

◆そらのいろ
FF14は、グラフィックも大変によろしい作品。


たとえば森。
訪れる場所によって緑の深さや色合いは全く異なり、

そこに暮らすモンスターや植物、街や村を形成するひとたちの暮らしぶりも、

その風土が色濃く出ています。


平原、海岸、岩場、丘、そして空。
地形もせかいも、実に様々なバリエーションがあり、

行く場所行く場所、多彩で、幻想的な光景が広がっていて。
生きている種族も様々に、そこでは毎日、彼らの生活が営まれている。
そして、その命が暮らす大地、風景は、時間帯によっても表情を変えるのです。


頭上に広がる、果てしのない蒼穹
かと思えば、気付けば耳に届く雨の音。
心地よい篠突く雨の律動に誘われて、遠くに見える稲光。

黄昏に暮れる空。

すべてが夕陽色に染まる頃を経て、見上げれば、視界を埋め尽くすほどの星の海。
白くやわらかな光を放つ月と、街の灯りの美しさに心を奪われる時間。


目に映る景色だけでなく、音でも変化を感じさせる、
そういうさりげない演出のなされ方が、また良くて。
異なる曲でなく、同じ曲に、アレンジを施すところが、良いのです。
……後述するアーモロートのように、ああいう同一曲の使い方もまた、

いとをかしが過ぎるわけですが、、、(誤用)

ふだん暮らす現実の世界でも、もちろん天候の変化はあります。
陽はのぼり、夕刻を経て、夜になる。
そして朝が巡り……繰り返される、毎日。


だから。

乳白色の光に包まれた、白夜のせかい。
見たこともない光彩を放つ森が、本当に美しかった。

雨も雪も降らず、朝も昼もなく、かわることのない風景のつづく様が。

閉ざされ、終わりの刻をただ待つだけの、そのせかいが。


請い願われ、喚ばれて行った、そのせかい。
いっそ神聖とすら思える空のした、
だれひとり、本物の「夜空」を知らない、そのせかい。

 

【漆黒のヴィランズ】

 

最 高 で し た 。 。 。(´;ω;`)ウッ…

 

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◆物語に叛逆を受ける

以前に、偶然かどうか「光が強くなりすぎたらどうなるんだろう?」と自分の動画で言ってたんですが、あぁ、そうかこういうことになるんだなと(笑)

それは、闇の力があふれてバランスが崩れる、という話からの何気ない疑問だったのですが、「光」と聞くと「善」という印象が強く、マイナス的なイメージには結びつかず、まるで想像がつかなかったんですよね。
善いもので満たされる世界で、悪いことなんて起こらなくない??て。


その、「光」の持つ「善」のイメージすらも覆したのが、
このサブタイトル、「漆黒」。
しかも、【叛逆者たち】ですからね。これが実に、にくい。


その名を最初は誰も知らず、冒険を続けるなかでやがて「光の戦士」と呼ばれ、

知らず多くの人々に慕われ、未来にまで希望の英雄譚と語り謳われる主人公(プレイヤー)。
それが、「第一世界」では逆に、「闇の戦士」として光に抗う、闇を取り戻すために戦うというんですから、もー、こんなに罪なタイトルがありますかと。


蒼天にしても紅蓮にしても、テーマとされる「色」と「〇〇」と冠された部分に、シナリオを進める中で何度も何度も「ヤラレタ!!!!!」と唸ったり泣いたりしながらプレイをしてましたが、今回は特に凄いインパクトでした。


「闇」を取り戻すことが、その世界を救うことになる。
「闇」を祓うことではなく、むしろ祓うべきが、「光」。

 

光と闇の反転、すなわち、善と悪の反転。
光と闇が持つ意味合い、価値観そのすべてが、一瞬にして逆転する世界。


……おもしろすぎやろ、と。。。
天才の発想すぎるんですよ、本当に。。。


それこそ、新生、蒼天、紅蓮に関しては、同じ世界で、ざっくりといえば「帝国」「アシエン」という共通の敵が居るという、分かりやすい構図だったものが、今度の舞台となる世界が抱える問題は、敵がヒトですらないという……。


紅蓮にしても、皇帝との和平の道を探るテーブルに着いた際、決定的に決裂することが決まった際、ここが旅の終着、一区切りかと思ったものです。
暁を主軸に、エオルゼア、イシュガルド、アラミゴ、ひんがしの国――多種多様な種族、その数だけ抱える問題。暗躍するアシエン。
そうしたものを丁寧にほどき、あるいはわだかまりを解放し、信頼と希望を未来へと繋ぎ結んできた、本当にこれまでの歩みのすべてが在ってこそと思わせての、「みんな」が駆けつけてくれた、あの戦場。


そしたら、ですよ???


セカイ自体、舞台自体が変わって、しかも、この展開。
かといって、新たな物語のラインが走るかと思えば、本編だと思って今まさに歩いていたこの道ですら、もともとが気の遠くなるほど遠い過去、古代世界の崩壊に始まっていた物語の、ほんの一部に過ぎない、とか。。。

正しいのはだれなのか、せかいを救うとはどういうことなのか――ただでさえ難しいその問いが、さらに難解に、そして重たくなっていく。


物語自体、過去から現代という流れにとどまらず、遥か未来へも通じるという……壮大すぎるんですよね……。。。もはやため息しかでない。
闊歩する敵にビクつきながら、おつかいに駆け回っていた、在りし日。
世界を、国を守ろうとするひとたちの想いを知り、ともに戦い、冗談なの?というくらいとにかく涙なしには進められなかったあの日々、あのシナリオ。
……そんな物語が、まさかこんな展開を迎えることを、どう予測し得たというのだろうほんとうにこのゲーム最高かな?????(笑)


Twitterでも当時、漆黒に入ってすぐの頃に私が騒いでいた理由がこれでした。

思わぬ叛逆。けれど、それがたまらなく嬉しくて。


何しろ、「光」に呑まれるんですからね。
今まで、「希望」の象徴であったはずのものに。
種族や年齢、老若男女関係なく、等しく訪れる、終焉。
異形となり果て、ひとがひとを、やがては世界を喰らい尽くす――こんな絶望があるかと。


そして、こんなに胸の躍る話があるかと。

 

ゆえに、水晶公に喚ばれてすぐ。
アルフィノかアリゼーか、どちらに先に会いに行くかという選択で、

折しもアリゼーを選んだ私は。
この「第一世界」がどのような状況なのかを知る、
もっとも分かりやすい洗礼を受けたのでした(笑)


初めて目にする、ひとが「罪喰い」へと堕ちる場面。
そして、確信しました、あのときに。
――漆黒、ぜったい好きなシナリオだ、と。

 

……いやぁ、しかし怖かった……繭が……だがそこがイイ。。。
襲われて終わり、じゃないあの描写――生々しく、「産まれる」、その過程。
このせかいに生きるひとは世界が光に覆われている限り、
その身にバケモノとなる因子を延々と溜めてしまうという、
呪いのような、それ。
「罪喰い」というネーミングから、
罪とは何なのか、生きることは罪なのか、などと色々と考えさせられたのを覚えています。

 

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そして、テスリーンの最期。
異郷でのアリゼーが過ごしたこの1年のことを思うと、泣けてしまうんですよね、、、
彼女が用心棒として――そもそも、腕を磨こうと思ったその動機が個人的にすごくいじらくてというのもあって――居た場所が場所なだけに、こうした罪喰いの転向に何度立ち会ったということもないだろう、アリゼーとテスリーン。

あんな最期でいいわけがない。あんなに唐突に終わりが来ていいわけがない。

彼女たちのことを思えば、それはもう泣かないわけがないという。。。

テスリーンの遺した言葉は、「彼」に届いたのかな。。。


かくして幕を開けた私の「漆黒の叛逆者」としての旅は。
こんな風に、行く先々、泣いてばかりでした(笑)

道中、再会を果たしていく賢人たち。
そして水晶公、アルバートと「闇の戦士」たち、……アシエン・エメトセルク。

もう、どこをとっても良すぎていけないんですよ、漆黒。。。

 

ということで、今回も長くなりましたね。。。

つづきは、またいつかの月夜に。


ここまで読んでくださってありがとうございました!

真夏兎◎まなと

 


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