真夏兎の跳ねる庭

ゲームの実況動画を投稿している女性配信者です。アクション系やホラーを中心に、世界観や雰囲気重視で、良質な物語との出逢いを日々求め中。

【零~濡鴉ノ巫女】(ぬれがらすのみこ)語り(その1)

 

ごきげんようまなと です(*^-^*)
YouTubeにて活動中の、【ゲーム配信者】です。

 

今回は、『零~濡鴉ノ巫女(ぬれがらすのみこ)』です♪

 

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◆『零(ぜろ)』

民間伝承をベースとした和風ホラーゲームで、本作でシリーズ5つめを数えます。

(個々で独立した物語となっているので、ほかのタイトルを知らずとも単独でプレイ可能)

 

特徴としては、登場人物がとにかく見目麗しいこと――もとい、心の機微を織り込んだ、きちんと血の通った人物造けいと、同じく、大切につくられた物語。

……そして、かなり恐怖色が濃いホラー、という点……(笑)

ハッキリいって、バイオハザード以上に、夜にプレイしたくありません。。。

 

新しいタイトルが出るたび、ストーリーの下敷きとなる陰惨な儀式や残虐な事件も、いっそう色艶を増すようで……しかしながら、泣けてしまうんですよ。。。

決して、怖いだけの作品なんかじゃないんです。

生と死。この究極的な視点から描かれる物語は、いつだって心に小さな、けれど決して消えない傷痕を残すかのよう。

……個人的に、もう大好きなんですよねこのシリーズ。。。

 

 

◆ゲームバランス

敵(怨霊)を、カメラで撮影して撃退するという特徴的な戦闘スタイルを持った、探索型のアドベンチャーゲームです。

扉を開けるための鍵的なアイテムを探したり、時にはパズル的な仕掛け要素があったり。また、道中には、個人の手帳や、ひとや場所にまつわる文献などが見つかり、それらは読み解くことでストーリー考察のたすけとなります。

 

本作、難易度はかなり易しい印象でした。

ラスボスを初見で割とサクサク倒せるという意味でもあり、探索を手助けしてくれるシステムがプレイヤーに甘くなった、という意味でもあります。

ただ、敵がどこから来るんだろうという不安感や緊張感、ゲームの持つ独特な恐怖感といった点は相変わらずの意地の悪さ。

扉ひとつ開けるのもビクビクしてしまいます(笑)

 

プラットフォームがWiiUとなったことで、パッドを使った見事な操作感を演出しているのも面白かったです。カメラを主武器として使用するゲームなだけに、現物のカメラのような動きを表現するにあたって、システムとの親和性が高いと思いました。

Wii発の眞紅の蝶や、月蝕の仮面のヌンチャクもなかなかでしたが、あぁ、今度はこうきたかって(笑)

 

各章がミッション制になったことで、収集物を重点的に探したり、経験値稼いだりと、手軽に遊べるようになった印象があります。

以下は、変更点と所感。

 

・各章ごとにアイテム編成が行われ、消費アイテムを心配せず遊べるようになった

・各章ごとに、持っていくアイテム数が任意で増やせる(ただし、スコアに影響)

・目的地へのガイドや追跡システムが親切で、道に迷いにくい

・オートセーブ対応で、緊張感がかなり和らいだ

・敵(霊)がそこまでこわくない(いや、めっちゃくちゃこわいけど笑

 

 

◆ネタバレ

さて、こっからはネタバレ全開だぉ!(生き生きと

どうぞ未見の方は お気をつけくださいませ。。。

 

 

◆物語の概要―儀式、巫女―

本作の舞台は、自殺の名所として名高い「日上山(ひかみやま)」。

自殺の名所、といいながら、様々な伝承や言い伝えの残る神聖な地として、地元民からはあがめられている場所です。

 そして、ここで行われていた儀式と、巫女の役割――これが、本作の肝となる部分です。 

 

◆「看取り(みとり)」

それは、死にゆくものの最期の想い、苦しみを引き受けること。

山の巫女は、この看取りにより人々の想いを引き受けます。今際の刻を前に、生きることの辛さや嘆き、痛みや苦しみを抱える人々の訴えに耳を貸し、これを受け容れ、受けとめる。

そう、山の巫女は決して、その「死」を願う者を、そう願った者を拒絶したり、否定しない。

 

そして、山の巫女自身が最期迎えるのが、儀式。

己のうち側いっぱいに、他者の想いを溜め込んだ巫女。

彼女は生きたまま函(はこ)へ詰め込まれます――現世と隠世との境を封じるために……。

 

 

◆なぜ、巫女は死を看取るのか?

ここで登場するのが、ゲームのテーマともなっている「水」。

これは日上山の地元での信仰にもつながっていて、山に流れる水のことを地元のひとたちは神様と同様に敬っています。水や、派生する、霧や、雨までも。

人々は水でつながり、水に還る――そうすることで、死は孤独なものではなく、分かち合うもの、共有するものとなり、巡り続ける。

きっと、日本のどこかには、こうした自然信奉的なところが根付いているところもあるんでしょうね。説得力というか、その思想の、なんて慈悲深いことだろう、なんて私は思って、泣いてしまいます。

死が孤独なものではなく。寄り添うものが居る安らぎ。

それはなんて甘美で優しいんだろう、て。

そうして、巫女として生きている間は他人の想いと共に生き続け、そして自らの最期には函(はこ)へと詰められ、人柱となる。この尊さ。この残酷な儀式。

 

往々にして、零に登場する儀式の目的は、こうした現世(この世)と幽世(あの世)の境を守り、災厄を防ぐ、あるいは鎮めるためのものですが、その中核を担うのは、いつだって人柱。

つまりは、生贄を捧げたり、その人間自体を封印の要とすることで、悪しきものから現世を守るという、およそ常識の範疇を超えた現実。

道徳的な観念からいえば嫌悪感すら抱きかねないけれど、やるほうだって物凄く辛かったり(自分の娘を手に掛けたり、双子同士で片方を手に掛けたり……ぅぁぁ)、強固な決意の上だったり(捧げられる者は、決してだれのことも恨まず、己が運命を受け容れるんです。。。)と。

そこに「人間」を感じてしまうと、ただただ切なくなってしまって……。

犠牲の上に成り立つ平和、ではなく、平和を保つために捧げられる命。

その精神のことを尊んで、一連の物語に涙を流しこそすれ、どうして嫌悪できようか。

ホラーなのに、泣ける。。。。

「なのに」というのは失礼なんですけれど、本当に、怖がらせるだけがホラーじゃないんだ、というか、本質的な部分に在るものを感じとってしまうと、この作品を振り返ったとき、自分のなかに残っているものが、「怖さ」じゃないんですよね。

そして、その存在が生きているか死んでいるかは別として、すべて「ひと」の物語だからと思い至る……ゆえに、胸がひどく痛むけれども、その痛みが愛しくて泣いてしまう私です(笑)

 

現代でこそ自殺の名所と呼ばれる日上山も、ただしくは、巫女に看取られることで安らぎとしての死を得る場所だった……。

看取り、その意味合いを深める「水」というテーマに、さらに、涙を掛けてきたのが本当にずるいと思います。。。

涙。

他者のために流される、生者の涙。

そして、死者の涙、

それまで、泣くことのできなかったひとが、他者の痛みのために、他者の痛みを我が身のように思って、涙を流す。

それまで、怨霊として、生ける者を憎み、他者を憎み、世界を憎み、存在を憎み、自分の役目を憎み、自分の役目を憎む自分を憎んできた死者に、透明な、涙を、流させる。

 

ストーリーの時系列的な筋からいうと、きっかけは儀式の過去の失敗。

本来であれば、世の理を守るために行われる、忌まわしくも聖なる儀式は、失敗すると何が起こるのか?

 

それは、函の底から夜泉(よみ・黒い水で表現)があふれ、儀式に携わった者はおろか、山で命を断った者も含めて、怨霊となってしまうこと。

また、時空と空間をゆがめる、というものがあります。

要は、自分たちが失敗した儀式をもう一度やり直そうという思いに縛られたかつての生者たちが、怨霊と化したいま、現代に於いて凄惨な終わりなき夜を繰り返す――具体的に、素養のある生者を「招き入れ」、儀式を「再現」しようとするわけです。

まぁ、このあたりは零シリーズでは共通するところです(笑)

 

本作、主人公たちがこの恐ろしい山に関わることとなったのも、この「人柱」として、山に、そして怨霊たちに、魅入られてしまったから。

 

◆逢世

本作の発端となった、失敗した儀式に臨んだ巫女の名を「逢世(おうせ)」といいます。(……名前がすでに泣かせにかかってるとしかいえない。。。)

 

巫女の宿命とは、永久に夜泉へと落ち続けること(函の中は海のように広いイメージで、逢世はたったひとりで奈落へと沈み続けている)。

けれど、他者の想いを引き受ける巫女としての自分の想いは、ではだれが看取ってくれるのか?

一抹の寂しさと、巫女であるがゆえに口は出せなかった、秘めた恋心。

怨霊となったのち、自分とともに夜泉へ落ちてくれる者を求める、というところがいかにも哀しくて……いとあはれ、、、

この、「巫女であること」、また、ひとりの女性であるという葛藤が、くるしくて。

そして、巫女であることを全うしようと、己が想い(恋心も含めて)を無理矢理に断ち切ろうとする気高さが、せつない。

ゆえに、迎えたエンディングにはいっそう感慨深いものがあります。。。

 

逢世(巫女)にまつわるエンディングは、4種類あります。

そして、そのうちの半分はどう考えても、どう考えても、百合エンd……ぐぼぼぼぼぼ(溺

今回はその中で、2つほど、ご紹介させていただきますね(後述)

 

 

◆登場人物とエンディング

 

主人公:不来方 夕莉(こずかたゆうり)

19歳。女性。事故をきっかけに、他人の記憶や経験、また死者といった「みえてはいけないもの」がみえるようになる。この能力のために他人との接触に抵抗感を持ち、次第に孤独を抱えるようになる。日上山で、夕陽を臨む岩壁から身投げしようとしていたところを、「黒澤密花(くろさわひそか)」に引き留められ、以後、密花の営む喫茶店に身を寄せることになる。

 

一番、本作の本質に迫る過程を経てエンディングを迎えたのが、彼女ではないでしょうか。

夕莉の物語のスタートは、山へ行ったまま行方不明となった密花を捜すこと。

その過程で、巫女のこと、儀式のことを知り、自身もあやうく人柱となりかけて。

 

何が泣いたって、怨霊に魅入られた密花自身が岩壁から身投げしようとして、それを夕莉が止めるシーン。いつかの再現。入れ替わった、立ち位置。

命の恩人であり、「影見(かげみ)」(過去の影を見る能力。簡潔にいうと霊力的なもの)であることで夕莉の持つ力の理解者である密花のことを、夕莉がどんな風に思っているか。

どんな風に、夕莉の中で、他人に対する気持ちが変わったのか。あふれましたねー。そして、無事に喫茶店に連れ帰った密花に、夕莉が淹れた珈琲とそのぬくもり。そのまなざし。

「人生は、時にはコーヒー1杯の温かさ問題」……その言葉の、意味。。。

人の記憶がみえる夕莉は、密花が実は過去に目の前で少女の自死を止められず、心の傷を負っていることを知っていたりもして……ぁぁぁぁぁんんっ!!(何

 

そして、ラストバトルでの逢世との対峙。

その悲しみに触れ、その悲しみを受けとめて。

……ほんと、涙腺が、、、

 

◆「夜泉ノ花嫁」ED

抱きしめるんですよー、夕莉が逢世を。

怨霊となって、それはそれは恐ろしい姿と成り果てた逢世のことを、何の迷いなく抱きしめて、泣きじゃくるんです。

永久に続く、他人の死の瞬間、痛みや苦しみを繰り返し続ける巫女のことを思って。

その孤独と、耐えることを決意した逢世という女性のことを思って。泣くんです。

そしたら、逢世がね、また泣くんですよ、、、

白無垢を真っ黒に染めて、禍々しい肌の色を覗かせた壮絶な姿の怨霊の頬を、透明な涙が流れるんです。そうしたら、かつての、美しい生前の姿になって……ぐぉぉぉぉぉ、、、

 

夕莉は、泣かない子だったんです。

それが、他者のために涙を流す、この意味ですよ。

他者を受け容れ、心を動かされて、泣くんです。

その心が、怨霊となった逢世に伝わって、逢世にとっての望み「看取り」が果たされる……こんなにも美しいラスト、、、生者の涙。死者の涙。

「あなたに逢えてよかった」。逢世の、言葉の、その重み。

 

 

◆「抱擁」ED

夕莉は、かつての夕陽を臨む岩壁に立っている。

あと一歩踏み出せば、「終わる」。

けれど、自分は迷っている――行くべきか、留まるべきか。

背後には、密花。

そして、目の前には……逢世。

同じ痛みがわかるから、死という痛み、くるしみ、孤独がわかるから、あなたと一緒に死にたい……もう、こんな(文字通りの)殺し文句、ある!!?

夕莉は、逢世の広げる腕の中へ飛び込むんですよ……そう、岩壁から、身を投げて。

抱きしめ合って夜泉へと「落ちる」ふたりの姿が、安らぐ、とでもいうべきか、すごく、美しいものに見えました。

かつて岩壁に佇んでいた夕莉(学生)は、自分がひとりだと言って。

その孤独をどうすることもできず、生きることをやめようとしていて。

夜泉へ落ちる逢世は、その夕莉(学生)へ向けて「あなたはひとりじゃない」と想いを発していて――そのことばを聞いて、私は不謹慎にも優しさを感じ取ってしまいました。

生前、巫女として凜とした気高さを持っていたひとの、今は怨霊に身をやつしてはいるけれど、損なわれていない優しさを感じてしまって。。。

そんなふたりだから、相手の悲しみを受け容れたのは、ゆるしたのは、果たして、夕莉だったのか、逢世だったのか。永遠に、ふたりで「死に続ける」ということは、本当に、究極の「安らぎ」じゃないだろうかと私は思います。

禁断にも似た、本当に微かな、あるかなきかの、思うことすら間違っているとわかる、けれど、わずかな憧れ。

しぬとき、ひとはひとり。けれど、このふたりの決断は……。

 

目の前で、過去と現在、「2人」も失ってしまった密花には、かける言葉もありません。悲しすぎる、けれど、たまらなく美しい。

このゲームを通して、一番愛おしいと思ってしまう、エンディングでした。。。

 

 

 

 ……と、今回はここまで。

じっくりねっとりと、書かせていただきました(笑)

今回の内容は私がゲーム実況をする以前、初見プレイしたときの所感のメモをもとに、加筆しました。時は経っても、大体、作品へ抱いている想いは変わっていなくて、自分でも笑ってしまいます(笑)

 

『濡鴉ノ巫女』を語るにあたって、欠かせない重要な登場人物たちはまだまだ居て、彼らについてもたくさん語りたいことが多いです……が、そちらはまたの機会に(*^-^*)

 

 

……しかし、こうして文章を書いてると、「ええい、まどろっこしい、動画を観て!」と思う部分もあるし、動画を撮ってると、観ている方の邪魔をしたくなくて話せなかったり(この視点は実際に撮るようになってから気づきました)、まぁ、単純に言葉選びと思考のスピードが話す速度に合わず、「ゆっくり落ち着いて文章で云いたい!」と思うしで、……こまったものです(笑)

 

って、私、単に話下手なだけなんじゃなかろうか、、、(´;ω;`)ウッ…

 

……はい、ということですごく長くなりましたね。。。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

 

真夏兎◎まなと

 

 

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◆【零~濡鴉ノ巫女】のプレイ動画#01

https://youtu.be/dLfeSOzC6cU

 


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