真夏兎の跳ねる庭

ゲームの実況動画を投稿している女性配信者です。アクション系やホラーを中心に、世界観や雰囲気重視で、良質な物語との出逢いを日々求め中。

ウツロマユ

ごきげんよう、まなとです♪


みなさん、激重感情を互いに向け合う百合はお好きですか?
私は、だーーーーーーーーーーーーーい好き(*^-^*)


もはや、互い無くしてはこの世に生きる意味なし。
相手が居るから、この世界に自分が留まる価値がある。

 

恋愛感情とも、愛情ともつかない、ただただ離れがたい気持ちばかり募っては、
あまつさえ、歪んだ仄暗い気持ちに苛まれる。
そうした複雑な想いの交錯する様は見ていて心かき乱され、
切なさゆえに、こちらも甘美な苦しみすら覚えるほど。
(葛藤する姿がもう、あぁっぁぁぁ尊いぃぃぃいぃぃぃぃぃんだよぉぉぉぉおお)


そして、そんなシンドさ(笑)しかない百合を観測するのに、
最適で豊饒な土壌となり得るのが、ホラーゲーム!!

百合とホラゲーの親和性の高さたるや……。
今回は『ウツロマユ』の感想語りを交えつつ、

その魅力について語ろうと思います。いぇい。

 

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※※※以下、『零「赤い蝶」』、『ウツロマユ』についてのネタバレを含みます※※※

 

……でもその前に。
ホラゲー×姉妹百合という観点から少しお話をします。


生と死。
私の経験上、このような話をする場合、すぐ思い浮かぶ作品といえば、
和風ホラーの金字塔『零』シリーズの中で、
双子の姉妹が主人公となっている「赤い蝶(紅い蝶」。


幼少期を過ごした土地一帯がダムに沈むこととなり、
思い出を辿り懐かしの故郷を訪れていた姉妹が、
殺戮に狂う儀式の一夜を延々と「再現」する村へと迷い込む、という物語。

 

この「儀式」とは、双子を互いに殺し合わせ、
片方の命を、あの世とこの世との封印のために捧げるというもの。
……これがもう、たまらない。。。

ホラーゲームにおける物語は、時に狂気的なまでの純度を持って、
読む者を魅了してきます。

簡単に言うと、美しい、のです。
何が美しいかといえば、人が人を想う、その心。
だれひとり死んだりしない、ほんわかとした路線の百合作品であろうと、
もちろんこの、人が人を想うという部分が肝であるし、
そこにこそ尊みを見出すのですが……ですが。

 

たとえば。


「いっしょに居たい」


読んでそのまま。
ただそれだけのこと、と生きて普通に暮らしている中では感じられるはずの、
本当に「ただそれだけのこと」が、この生と死の舞台上では、
心の奥からの願望、真の「永遠」、「希望」となり得ることの危うさ、
退廃的な美しさとでも呼ぶべき、実に耽美な味わいを秘めているわけです。


「赤い蝶」の場合、
妹の「いっしょに居たい」は、

大好きな姉と、これからもともに生きていく、ということ。

 

姉の場合は、「死して魂となり、永遠に妹の傍に居続けること」。
根幹にある相手への想いの深さが垣間見えるというか。

 

そもそも、愛する相手に命を委ねる、愛する相手だからこそ最期の瞬間を委ねられる、というのはおよそ生きている中で、最大限の選択であり、相手への絶対的な愛情と信頼がなければ叶わない行為であり、禁断の願い、そうして「いっしょに在る」ことを願うこと、これを指して(本人の)「希望」だなと……私などは思ってしまうわけです。

 

もちろん、平時であれば口に出すことが憚られるような、
たとえ心の中で思っていたとしてもオモテには一生でてこないであろう、
そうした、重く昏く深い、感情。

それすらもホラゲーの中では、時として生者と死者の世界、

曖昧なる狭間を彷徨うがゆえにか、
精神の最も深い部分、禁忌とさえ呼ばれるような部分すらも暴いてしまう、

描いてしまうという面があると思うのです。

 

そんな極限の、我々の住むセカイの外側で、
ふだん纏う常識や良識の厚い衣を脱いで露わになる、
艶めかしいまでの「本音」の、なんと甘やかであやういことか……

おいしぃぃぃぃいいぃぃぃぃ。。。


っというのを踏まえて(笑)、本題。


『ウツロマユ』の世界で描かれるのは、生者と死者の世界、
いわゆる「あの世」と「この世」といった世界ではなく、
現実の、人間の、生者の世界での物語。
だから余計に真実味があるというか、私にはとても新鮮に映りました。


祖母の家を訪れた主人公の目線から、家の秘密を段々と紐解いていき、
やがて恐ろしい真実に行きあたる……というストーリーの中で中核となるのが、
綾乃と絹というふたりの姉妹の関係。


時代背景を上手く取り入れ、過去から現代へと、今もなお進行形であるというのが、
とにかくこの物語の一番おそろしいところであると私は思っています。


そう、進行形――綾乃さんは絹さんを想い、絹さんは綾乃さんを想っている。
数十年来に渡り、今、この時も。

絹さんの命が果て、綾乃さんがひとり残されて、尚。
ふたりだけの「繭」――それはほとんど、ふたりにとっては「世界」と言い換えてもいいのかもしれない――の中に、綾乃さんはひとり、囚われ続けている。


その気持ちを、恋、と呼ぶのが正しいのか、
あるいは「執着」、あるいは「未練」と呼ぶべきなのか少し悩ましい。


分かりやすいのは綾乃さんのほうで、彼女の気持ちは、恋と呼んで差支えないと思う。
彼女が絹さんへ向ける気持ちは、慈しみに満ち、どこまでも優しい。
けれども家族に対する想い以上のものであることはたしかで、
絹さんが作中気付いていた「姉の想い」や、
綾乃さんに恋をする佐一だからこそ気付けた彼女の「視線」という表現が本当に、にくい。

 

母をはやくに亡くしている寂しさが由来しているものか、
よく、百合的な要素のある作品ではこういう部分に起因して惹かれ合った~とか表現がなされるけれど、純粋にひととして、絹さんのことを可愛がり、惹かれていたのだろうと、思います。


口に出すことの、赦されない想い。
ましてや家を守り、家業を継ぐ定めにある深山の家に生まれ、婚約者もある身で、
絹さんへの想いを持ち続けていた、「人間」の頃の綾乃さんを思うと、
……さらには異形となってなお、己のことすらわからなくなっても、
「きぬちゃん」だけは忘れまいと願い、実際、己を乗っ取らんとする意思(ヒメツキ?)からも守り通したっていう、あぁ、尊い。。。めっちゃくちゃ尊い。。。


対して、絹さん。
こちらこそ複雑な心の持ち主であり、ある意味、百合特有のとびきりドロドロとした黒く重い愛、その趣を持つ人物だなぁ、っと個人的には。

 

怪物となり、徐々に知能低下や精神遅滞をみせ、人間らしさを欠落していく綾乃さん。
むしろ綾乃さん本人は幸運だとさえ思う。

 

深山という家の上に、幾重にも重なる悲劇と屍。
その意味を、綾乃さんは理解できないから。

だいすきな絹とふたり、年を重ねていく最愛の妹との暮らしを、
いつまでも微睡みのなかで、「繭」のなかで享受できるのだから。

 

……でも、狂おしいほどの情念、執着を持っているのは実は絹さんのほうではないかと私は思っている。
婚約者に端を発し、美しい姉を疎み憎むその気持ちに隠れていたのは、本人が決して認めるわけにはいかない、姉と同じ質量の「想い」で。
でも、それが百合かといえば百合なんだけどでも素直にはそうといえない複雑さ。。。

 

「このひとには自分しかいない」憐みもあれば、
どうしようもなく惹かれてしまう気持ちを反射的に本能的に避けてしまうんだけど、
でも惹かれてしまう、受け容れがたい相反する己の心。

嫌いなものほど好きで、好きなものほど嫌いの心理というか、
憎いものへの想いを断ち切れない執着、けれども憎しみと同じだけの愛情を本人だけが拒んでいる、なんて。
……あぁ、おいしい。あぁぁぁ、おいしい(コラw


ここで、さきに語った『零』の話と合流するんだけど(そういえばあったね~)、
綾乃さんは、赤い蝶の「姉」と符合するし、
絹さんは、同じく「妹」と符合するなと。

 

どちらも妹へ特大の感情を抱いていて、それは傍からは「恋」と呼ばれる感情にもよく似ているもので。
肉親へと向ける愛情、愛着、それも含めて、この世に真にひとりだけ自分にとって必要な大切な相手として、妹を認識している。

 

そして、彼女たちが願うことといえば「妹を、自分から解放してあげたい」と同時に「永遠に傍に居たい(居てほしい)」の気持ちとなれば……ぁぁぁぁ、、、この、この、まったく異なるベクトルの感情をその身に抱えているかと思うと、愛しさでいっぱいになるのは私だけですか!??????ハァハァ


もはや人間社会の中では生きられない、
自分がついていなければ生きていくことのできない化け物となっている綾乃さんのことを、
自分の犯した罪、行っている狂気性のことをそうと認識している上で、
最期にできることが、姉の尊厳を守ってあげられることが、
綾乃さんにあの毒の入った皿を渡し、自分は首を吊る……この心中、愛しさ以外の何?????


赤い蝶でいえば、姉は受け容れます。

妹の手に掛かることを。

 

それは恍惚とさえしていて、客観的には恐ろしさ以外の何物でもないんだけれど、
私にはそれはもう尊いもののように、いっそ涙さえでそうなくらい、狂気に満ちた優しさだな、と。

 

彼女たちの場合は双子なので余計に、二人の間にある絆は特殊なものかもしれないけれど、根の部分、相手を受け容れる、死を受け容れる、この、言いようのない、両手を拡げて何でも赦し受け容れてしまう、安心感に満ちた光景。

生物であればおよそ持っている生存への欲求を、

自らの理性で捻じ曲げ受け容れるという、究極的な心の在り方。
暁美ほむらは、きっとそれを愛と呼ぶし、私もそう呼びたいし、きっとだれかもそう思うのかもしれない。

 

『ウツロマユ』はとても悲しくて、美しい物語。

 

エンディングは今現在でまだ1周しか回収できてなくて、
みなとくんがせっせと綾乃さんのお世話をするエンドです。

 

って、ここまで百合の話をしていて何だけど(笑)、
あれはそうだなぁ、……たぶん、共依存な関係になるんじゃないかな。

 

どちらも異形。
ひととして生きていくことのできない者同士。

 

綾乃さんに果たして寿命があるかはわからないけど、
みなとくんが老いた先で絹さんと同じように病気を患ったりケガをしたりと、
自身がお世話できないとなれば「責任」を果たすのだろうなって。
そして綾乃さんは拒むこともなく、それを受け容れるのだろうな……ぅぅぅ、、、。。。


異形の綾乃さんに追いかけられる恐怖は大前提として、
昔の田舎の雰囲気や、和ホラー独特の湿度の高い(笑)闇の怖さ。

関わる人間の心情や、各々の立場から徐々に真実を浮き彫りにしていく、
瑞々しいまでに情景を巧みに描いた、各人の手記。

素晴らしいゲームです。

 

(まさか百合的な要素が絡んでいるとは思っていなかったので、
百合スキーな自分にとっては余計に楽しめましたw)

 

この手のゲームだとやはり個人的に『零』シリーズがとても印象に強く、
自分の今の生死観だとか、他のゲームを遊ぶ際の指針にもかなり深い部分に刺さっている自覚があるのですが、あちらが描くのは、生者と死者の世界。

対して『ウツロマユ』は、完全に生者の世界。

 

冒頭でも述べてますが、だからこそ新鮮に感じられたような気がします。
あまつさえ、肉を持つ存在なら、しかも言葉が通じないまでも意思疎通できて両思いなら、添い遂げられる、てw
たぶん、最近観た『シドニアの騎士』の影響もあってか、
異形のすがたをした存在と人間の恋に抵抗感も薄く、またその人物の見た目じゃない心の部分にフォーカスし易い状態が形成されていたのかもw

 

綾乃さんと絹さんは、恋愛的な意味での純愛……と呼ぶにはちょっと複雑で難しい関係だけど、姉妹愛、家族愛、愛情、そういうもので繋がっているのは確かで。
過去から連綿とつづくおぞましい一族の物語といい、結さんの出生、そして最期といい、……変な言い方になるけれど、ふだん顔を合わせている人であっても、ちょっとした秘密を抱えて生きているような、隣人の秘密を知ってみたらシャレにならなかった現実ってこわいなぁの感覚も楽しめたような気します。

(絹さんが村人(村長?)とふつうに交流があるのを覗かせるお手紙とか、生活感あふれるおうちだとか、プレイ開始当初は本当に「ふつう」の家って印象だったので余計に)

 

あ。零の話を延々としていたけれど、私個人は心中思考全くないですwwwww
だれに理解されない苦しい恋をしたとして、死は決して終着点ではないと思ってるし、そういう終わりを相手に願ったりも憧れたりも絶対ないですwww

あくまでも物語として美しいね、ていう話ですからね。くれぐれもwww

(でも退廃的な美だとか、異形とか、霊とか、そういうものばかりに惹かれるのは私が単に厨n……)

 

 

おまけ。

これは公式な話なんだけど。

零(赤い蝶)で、姉は幼少期に負った怪我が原因で、成長しても走れない体質です。
妹は自分のせいで姉が一生残る傷を負ったと、負い目を感じて生きています。
姉は、妹のことが大好きです。
一生、自分の傍に居てほしいと、村に迷い込む前から思っていました。


……あとは、わかるね??笑


(オリジナル版の赤い蝶も、リメイクされてエンディング増えている紅い蝶も、どちらもおすすめ!!)